幸♀佐

□いにしえの願い@
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「嘘・・・・・・だろ・・・」

嫌な予感はしてたんだ・・・。



自分にしては珍しい、高体温期特有なけだるさの断続。
そして時折襲ってくる、意味不明の吐き気。
味噌粥の芳醇な香が気持ち悪い・・・。
「ぅ・・・・・・っ」
手拭いで口元を覆い、嘔吐感と戦いながら、猿飛佐助は愕然としていた。



≪いにしえの願い≫



だから、嫌な予感はしてたんだってば・・・。

旦那の伽の相手をしつつも、月のモノの周期は算出していたつもりだった。
安全日を選んで、主の寝所へ赴いていたのに・・・。
毎日が忙しくて、めまぐるしかったから。
もう三ヶ月程、月のモノが来ていない・・・。
ここにきて、ようやくその事に気付いた。
「ははっ・・・やっちゃった・・・・・・」
今まで、何度か他の女忍者で目にしたことのある光景。
それがまさに今、自分の身に降りかかっている事実、だった。

   * * *

最初は単なる旦那の好奇心なのだ、と思っていた。
まだ年若い旦那が、性欲を鎮める為に、欲望の赴くままに、自分を抱いたのだと。
そのうち飽きると思っていた。
度重なる戦で、傷だらけな佐助の身体など、少しも綺麗じゃないし、無駄な肉のない痩せた身体は、女のような丸みもない。
だから。
女らしい身体を持つ、普通の人間に興味は向くだろう、と信じて疑わなかった。
なのに飽きもせずに、自分を求めてくるから・・・いつかこんな日がくるのではないかと、考えた事も・・・なかったわけではない。

どうしよう・・・・・・。
旦那の子を宿してしまった。

そしてそれは、想像を遥かに超えて嬉しかった。

たとえ産み落とすことが出来なくとも、だ。
自分にも、まだこんな感情が残っていたのかと驚きもあった。
今、自分の腹の中に、旦那の血を受け継ぐ者が、胎動し始めているのだ・・・。
やばい、どうしよう、凄い・・・嬉しい・・・。
「でも、産めないんだ、ごめんね・・・」
軽く腹をさすって目を伏せると、佐助は引き出しから小さな小瓶を取り出した。
「相手が悪かったんだよ」
誰にともなく呟いた。
これを飲めば、全て終わり、元通り。
普通の人間が飲めば、母体共々命を落とす毒も、佐助の身体に効果はない。
だが確実に胎児は流れる。
まさか自分が使う事になろうとはね・・・と自嘲しながら、ゆっくりと蓋を開けた。
自分の口へと傾けた瓶を持つ手が、無意識に震えた。
そして・・・。

「・・・出来ないよ・・・っ・・・」

ことん、と音を立てて滑り落ちた小瓶が床を濡らした。

くのいちなら、経験のある者も多い事なのに・・・。

だって・・・あの人の子、なんだ。

殺せない、殺せるわけが・・・・・・ない。
まだ形すら成さない子供一人、手にかけられないなんて。

「ははっ・・・失格だ・・・」

忍隊の長として・・・いや、忍びとしても。
ふいに涙が零れた。
「え・・・何で・・・・・・」
こんな生暖かい雫は、自分のじゃない。
まさか泣いてる・・・のか?
慌てて佐助は目許を拭った。
悲しい?
馬鹿な・・・。
そんな感情は持ってない筈だ。
「あーもー・・・・・・」
何もかも、駄目駄目だ。
立場を忘れ、仕えた主に惚れてしまって、宿ったややに喜んで。
挙げ句、堕胎すら出来ないなんて。
頬を伝う涙は止まらない。
それを拭おうともせずに、無理矢理佐助は笑った。

忍びにも戻れず、人にもなれず。

そんな今の佐助に残された道は、ただひとつだった。


   * * *


空が白んできた。
そろそろ朝日が昇る頃。

佐助は切り立った崖の先で、東の空をぼうっと見つめていた。

とうとうこの日が来たのだ。
随分と待ちわびた・・・。

夜の見回りは、忍隊が交代制で務める。
その最終日に、佐助は白羽の矢を立てていた。

全ては自分の我が儘だから。

いくら自分が忍び失格とはいえ、仕事の途中で任務を放棄するのだけは避けたかった。

でも、もう大丈夫だろう。
これだけ空が明るくなれば、たとえ敵が忍んでいようとも、やすやすと侵攻は出来ないだろうから・・・。
「ありがとう・・・」
上田の城下を見下ろしながら、佐助は呟いた。
自分と共に在ってくれた人達へ。
こんな頼りない自分を、慕ってくれた忍隊に。
そして。
誰よりも自分が愛した、ただひとりの殿方へ。

「ありがとう・・・幸村様」

こんな自分に笑いかけてくれた。
こんな自分を信頼しきってくれた。
こんな穢れた身体を抱き締めてくれた。
そして。

愛した人の子を宿す、という喜びを教えてくれた・・・ただひとりの愛しい存在。

不思議と穏やかな気持ちだった。
佐助は自分の腹を優しく撫でた。
「ごめんね・・・」
日の目を見せてあげることすら出来なくて。
だけど、たとえ日の目を見ることが出来ようとも、この子は幸せにはなれないから。
誰にも望まれる事なく、生を受けるくらいなら、自分だけが愛してやるから・・・だから。
「一緒に逝こうね」
この子に寂しい思いなんてさせない。
自分が共に居るから・・・。

佐助は懐から包み紙を取り出した。
まだ体内に取り込んだ事のない毒。
最近の体調不良のせいで、未調合のままだった物だ。
この劇薬を口にし、そのまま崖下へと身を投げれば、確実にあの世へ行ける筈だ。
「旦那の六文銭・・・お前の父親の思い出に、貰ってくれば良かったね」
優しく我が子に笑いかけると、また涙が視界をぼやけさせた。
でも、そこに躊躇はもうなかった。
佐助は一気に包みを傾ける。
そして・・・
「っ・・・・・・!!」
首筋に一瞬、鋭い痛みを感じ、そのまま暗闇の中へ墜ちて行った。

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