現代小十佐

□大事なのはどっち?
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パンッ、と乾いた音が周囲に響いた。

「いい加減にしろよ旦那・・・」
「佐助・・・」
「人の仕事の邪魔してんじゃないよ!」

叩かれた頬に手をあてていく幸村の動作が、やけにゆっくりと見え、佐助の心がずきんと痛んだが、それに構わず後ろを振り向いた。
「旦那が失礼な事言ってごめん、仕事・・・頑張って」
それだけ言うと、佐助はその場を足早に離れた。
早く、この場から逃れたくて、ただただひたすら無言で突き進む。
暴かれた心と、主を叩いてしまったこの手が、凄く痛かった・・・。


≪大事なのはどっち?≫


事の始まりは、1通のメールだった。

この日は久々に恋人、片倉小十郎と会える事になっていて、猿飛佐助は朝からうかれていた。
同居人の真田幸村も、今日は部活の仲間と鍋だというタイミングの良さに、何も心配する事はないし、仕事もさっさと見切りをつけた。
だからあとは、逢瀬を待ちわびるだけだった。

学校が終わった幸村が帰って来ると、二人はそれぞれ互いに身支度を始めた。
佐助の携帯が鳴ったのはその時だった。
受信したメールは『急な仕事が入った、すまない』と短く一文。
相手は言わずもがな小十郎からだった。
佐助にとっては、まあいつもの事なので「ああまたか」程度な心境であったが、それを知った幸村はひどく憤り、ならば自分も今日は佐助と夕食を共にする、と言い張った。
「一人くらい欠席したところで、肉の配分が多くなるので皆、喜ぶだけでござる」
そう言ってくれた旦那の気遣いに、嬉しくもあり、申し訳なくもあり。
「じゃあ・・・うちも今日は鍋にしようか、旦那」
「うむ!・・・負けぬぞ佐助!!」
「ぃや・・・肉なら全部食べていいから・・・」
そして、二人で夕食の買い物へと近所のスーパーへ足を運んだのだった。



・・・嫌な事は続くものだなあ・・・。

そう思いながら、佐助が深いため息をついた。
スーパーからの帰り道、駅前の大きなホテルの前を通過しようとしていた時だった。
捉えてしまったのは、デートをドタキャンした恋人の姿。
車から降り、後部座席のドアを開け、女性をエスコートする・・・。
彼女の方もまんざらではなさそうに、差し出された手を無視し、そのまま小十郎の腕に自分の腕を絡める。
きっと、大企業の娘さんなんだろうな・・・。
仕事、とはいえ見たくなかったなあ・・・と佐助はわずかに眉を顰めた。
と、その視界が急に驚きに見開かれた。

ずっと隣りを歩いていた筈の幸村が、小十郎の胸倉を乱暴に掴んでいたのだった。


「おぬしは佐助と仕事、どちらが大切なのだっ!?」


そして。
人生、後にも先にも一度きり。
旦那に平手打ちを喰らわす、という暴挙に出た自分に酷く憤り、後悔している。
・・・それが今の自分だった。


   * * *


「佐助」
ドアをノックする音、旦那にしてはよそよそしい小さな声。
あ、もうこんな時間か・・・。
夕食の準備、しなくちゃな・・・。
「佐助・・・まだ怒ってるのか?」
「怒ってないよ・・・落ち込んでるだけ」
あれは、完全な俺様の八つ当たりだった、反省してるんだ。
ドアを小さく開けて不安そうにこちらを覗いてきた幸村に、佐助は優しく笑いかけた。
ほっとしたように部屋に入ってくると、ベッドに寝転がったままの佐助の枕元にちょこんと座った。
「叩いてごめん・・・まだ痛む?」
先程、思わず感情をぶつけてしまった幸村の頬に手を伸ばす。
「全然痛くござらんよ」
「本当にごめん旦那・・・」
「佐助が謝る事はない、俺こそ勝手な事をして・・・すまなかった、佐助」
しゅんとして申し訳なさそうに頭を垂れる幸村に、佐助は優しく首を横に振った。
「でも旦那、仕事と恋人を比較させちゃいけない。比較対照じゃないんだ・・・それだけは絶対言っちゃ駄目だよ」
「うむ・・・」
「でもこれはあくまでも建前で・・・本当は嬉しかったんだ、あの時」
ありがとね、と佐助は笑った。


自分と仕事、どっちが大切に想われてる・・・?


それはいつも、佐助が心に抱えている疑問だった。
社会の厳しさを知っている。
同じ社会人同士だから・・・。
だから言えない、その言葉。
なのに、自分がずっと言いたかったその言葉を、幸村はあっさりと代弁してのけた。
それが羨ましくて、妬ましくて。
我慢することを覚えてしまったこの自分が悔しくて。
「・・・佐助は片倉殿の恋人なのだろう? 何故言いたい事を言わぬ」
「俺様のは、ただの我が儘だし」
「我が儘の何が悪い」
唇を噛み締めて黙ってしまった佐助に、幸村は不思議そうな顔を向けた。
「・・・旦那も社会に出ればわかるよ」
「子供扱いするな」
「俺様に言わせりゃ、旦那なんかまだまだ子供だよ」
そう笑いながら髪をくしゃっと撫でると、不満そうに幸村が睨み付けてくる。
「俺を優先して、って言えば多分そうしてくれる・・・あの人はそういう人だ」
「ならば・・・」
何か言おうと口を開きかけた幸村の言葉は、佐助のあまりにも悲しそうな笑顔にかき消された。
「でも。俺のせいでロスした仕事の時間は、きっと他で埋めるから・・・不眠不休で働く、とかね」
好きな人にそんな無理、して欲しく無いでしょ?
そう追言されてしまえば、ますます幸村は何も言うことが出来なくなってしまい、ただ黙って佐助の言葉を聞くだけだった。
「足枷になりたくないんだ・・・」
「佐助・・・」
「負担にしかならない恋人なんて、嫌だからねー」
ほんとは。
いつも一緒に居たい、笑い合って居たい、もっとかまって欲しい・・・。
当たり前じゃん、そんな事・・・。

「・・・片倉殿が言ったのか?」

やがて。

今まで黙って佐助の言葉に耳を傾けていた幸村が、ぽつりと言った。
「え?」
「佐助の存在が負担だと、片倉殿がそう言ったのか?」
いや・・・直接聞いたことはないけど。
聞いたら絶対否定する。
それが足枷の第一段階になる、だからそれは嫌なんだ。
展開の見える芝居に、自らのる気はない。
「それは佐助が決める事ではないだろう」
「そりゃそうかもしれないけど・・・でも忙しい人なんだよ」
それは周知の事実だし。
「それもおぬしが決める事ではないだろう、」

なあ片倉殿、

突然幸村がドアの外へ声を掛けた。

「っ・・・・・・!!」
佐助がその視線につられ、扉の方に視線を向けると。
少し開け放したままの扉の奥に、小十郎が立っていた。
「何で・・・旦・・・ッッ・・・」
どうしてあんたがここに・・・。
そう言葉にすることは出来なかった。
無言で部屋に侵入してくる、ここに居るはずのない恋人の姿、
有無を言わさず塞がれた唇、
骨が軋むほどに強く抱き締められる身体、

何がなんだかわからない・・・!!

「ぅ・・・んっ、・・・」
ますます深く口腔を貪られ、佐助の息が上がっていく。
「ちょっ、待っ・・・真田の旦っ、が・・・仕、事は・・・っ」
自分でも何を言ってるのかわからなかったが、とりあえず今、このまま流されてはいけない事だけは、本能が察知していた。
シャツの下に潜り込んだ大きな手が佐助の腰を撫で上げた時、佐助の身体がぴくんと反応した。
「ゃ・・・んっ・・・」
突っぱねていた腕から力が抜ける。
弱々しくジャケットの裾を掴んだ佐助に、ようやく小十郎は抱き締めていた腕の力を解いた。
「ど、して・・・・・・?」
「この大馬鹿野郎が!!!」
頭から怒鳴り付けられ、佐助がびくんと身体をふるわせる。
・・・怒ってる・・・。
というか、怒らせた・・・?
なんで・・・
・・・・・・わからない・・・。
「一番に決まってるだろうが」
「え・・・?」
「仕事より何より、てめぇが一番大切に決まってんだろうが」
「・・・・・・え。」
反射的に小十郎の瞳を凝視して、佐助がその場に固まった。
今のって・・・。
つまり、その・・・先程の、真田の旦那の暴言に対する・・・返答?
「ったく・・・なんで俺が、あんな餓鬼に説教されなきゃなんねぇんだ」
いつまでも見てんじゃねぇ、と恥ずかしそうに視線を外す小十郎の表情に、その恥ずかしさが佐助にも伝染してきた。
「大体、てめぇもてめぇだ」
「?」
「なんで一人で抱え込む」
「あ・・・。」
先程。
真田の旦那に喋った事は、全て小十郎に聞かれてしまった事を思いだす。
「や、それは・・・」
「佐助」
小十郎から逃げようとした視線は、あっさりと捉えられてしまう。
恋人には言えない事を、幸村には言える。
小十郎は、そんな自分に腹が立っているに違いない。
「てめぇだけじゃねぇんだよ・・・」
また怒られてしまうのだろうか・・・そう恐縮する佐助に、小十郎は困ったようにため息をついた。
「てめぇが俺を気遣ってくれるように、俺だって、てめぇに無理はさせたくねぇ」
「小十、郎さん・・・」
我侭でも何でもいい、
言いたい事は言って欲しいと小十郎は言った。
そんな優しい言葉に、佐助は涙腺が緩みそうになるのを必死で耐える。
「我慢するな。俺はそれが足枷になるなんて、微塵たりとも思わねぇ。俺に言わせりゃ、こっちの方がよっぽど手前勝手じゃねぇかよ」
小十郎の都合に合わせて時間を作るのはいつも佐助の方だし、更に直前ドタキャンなど日常茶飯事で。
恋人がこんなに気遣ってくれて、何があっても笑って許してくれるなんてのは、普通に考えたらあり得ない程の包容力だ。
「俺の方こそ、怖ぇんだよ・・・いつか、てめぇが俺に愛想尽かすんじゃねぇかってよ・・・」
「え、何で? 愛想なんか尽かすわけないじゃん」
小十郎の言葉に、心底不思議そうに佐助が問い返した。
何でと聞かれても、小十郎の方は小十郎の方で、その要素が有り過ぎる。
そう自覚しているので、佐助の言動にこそ、驚かされるわけで。
「だって俺様、ほんとに小十郎さんが好きなんだ」
ほんとに、
ほんとに・・・大好きなんだ。
そう顔を赤らめながら佐助がそう告げた瞬間、小十郎は強く抱き締めた。
「なんでてめぇはそんなに・・・」
言いたい事は言葉にならなかった。
健気過ぎて、愛し過ぎて・・・もどかしさに、どうにかなりそうだった。
もつれ合うようにベッドに倒れ込むと、甘い吐息と共に、佐助はその広い背中に両腕を回した。


   * * *


「なあ・・・この家、出ねぇか?」
「え・・・・・・?」
そういえば夕飯を食いっぱぐれ、自分が小十郎に食われていた事に気づき、佐助はかあっと顔を赤らめた。
確かに・・・動きたくない、だるい・・・けど空腹は否めない。
「いいよ・・・何食べたい?」
「馬鹿かてめぇは」
見当違いな佐助の返答に、小十郎が大きなため息をついた。
「この家を出て、俺の所に来いって言ってんだよ」
「え・・・・・・」
それって…
「なんだかプロポーズみたいだよ?」
「そのつもりだが?」
「っ・・・・・・」
思わず絶句して、口をぱくぱくさせる佐助に「嫁いでこい」と、もう一度小十郎は言った。
「今の仕事も続けたきゃ続けりゃいいし、辞めたきゃ辞めりゃあいい、俺だってな・・・」
「・・・?」
毎日でも、てめぇの顔拝んでたいんだよ、
そう耳元で囁かれ、佐助の顔が限界まで真っ赤になった。
「どんなに遅くなっても俺は必ず家に帰る。勿論先に寝てて構わねぇ、てめぇの好きにすりゃあいい」
「っ・・・・・・」
ふいに佐助の顔がくしゃりと歪んで、そして・・・。
大粒の涙がぼろぼろとその瞳から溢れ出した。
「おい・・・」
焦ったように小十郎がうろたえる。
「・・・が、と・・・」
「ん?」
「あり、がと・・・こんな、事・・・って・・・」
こんな嬉しいは事ないと、嗚咽に邪魔されながら必死に言葉を紡ごうとする佐助が、何よりも誰よりも愛しくて。
優しく抱き締めてその背をさすってやれば、甘えるようにぎゅっとしがみついてきた。
「・・・ろ、さん・・・小十郎さんっ・・・」
青ざめたり落ち込んだり、顔を真っ赤にしたり、泣いたりと。
今日はこの短時間で、随分いろんな佐助の表情を知ることが出来た。
忙しい奴だな・・・そう思いながら、小十郎はその茜色の髪に唇を落とした。
「おい、いい加減泣き止めよ」
「・・・無、理だよ・・・だって、急に、こんな事・・・っ、ふぇぇ・・・」
「・・・・・・悪かったよ」
「違う、悪く無い、でも無理、今は行けない、よぉ・・・っ」
「ぁあ?」
佐助の声音が微妙に変化したのを感じ、小十郎が佐助の顔を上げさせると、先程とは一転。
本当に悲しそうな表情を見せる、佐助の泣き顔があった。
「凄い・・・嬉しいし、小十郎さんのトコ行きたい、けど、旦那・・・真田の旦那が・・・」
そう伝えて、また泣いた。
「おい・・・」
再び小十郎の胸に顔を埋めて「真田の旦那がぁ・・・」を連呼しながら泣き続ける佐助に、小十郎は困ったように眉尻を下げた。
「さっさとけじめつけろと言ってきたのは真田だぜ」
「駄目。旦那何も出来ないから・・・まだ高校生だし」
「・・・・・・。」
頑なに首を縦に振らない佐助、
泣きたいのはこっちだぜ・・・と小十郎はひとりごちる。
確かにムードも色気もタイミングもあったもんじゃなかった、それは認めよう。
だけど、男 片倉小十郎。
一世一代のプロポーズのつもり、だった。
それだけは嘘じゃない。

家の鍵を小十郎に託し、さっさと鍋パーティとやらに行ってしまった真田幸村を「本気で極殺してやりてぇ、」と、そう思った瞬間だった。

そして、小十郎の腕の中で相変わらず、ぐずり続ける佐助に悪戯めいた視線を向け、小十郎はニヤリと笑った。


「てめぇは真田と俺と、どっちが大事なんだ」



― End ―

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