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□zero sum visitor
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「と、いうわけなんだ。いい知らせだから直接教えてあげようと思ったんだけど、残念、まだ帰ってなかったんだ?」
「ああ。ちょっとな。今日帰院する予定だ」
朱雀領の首都、ペリシティリウム魔導院内にあるクラサメの自室で、主の友人であるカヅサ・フタヒトは肩を竦めた。
本来なら〇〇は昨日戻っている予定であったのだが、クラサメからの連絡を受けてインスマ海岸に向かった〇〇は迷子を見つけたと知らせてきた。
気絶してしまったというその少年を最寄りのトグアまで連れ帰り、意識が戻ったので話を聞いてみたところ記憶喪失だと判明した。
〇〇の性格上、そこで放っておくわけがなく、しばらくの間ペリシティリウムで預かることに話は落ち着き、本日帰院の流れになった。
「さて。そろそろおいとまするよ。試験薬剤の品種改良の結果報告が上がってくるはずなんだ」
眼鏡を外して白衣の裾でレンズを拭ったカヅサは大きな欠伸をしながらのそりとソファーから立ち上がった。
肩を回すと小気味良い音が鳴る。
常に覇気のない男であったが、いつにも増して浮遊感に拍車がかかっていることがクラサメの口を開かせた。
「疲れているようだな。寝ていないのか?」
扉に向かう背に掛けられた労いの言葉にカヅサは瞳を数回しばたかせた。
くるりと振り返った口元にはからかうような笑みが浮かんでいる。
「驚いた。クラサメ君が僕を労る言葉を口にするなんて。ねぇ?」
「戻ってこなくていい」
どんな顔をしてどの口が言ったのかと、わざわざ戻ってくるカヅサに失言だったと舌打ちをする。
「そうだねぇ。この頃研究所に籠りっきりだからあまり寝てないのは確か」
飄々とした態度ではあるが、研究者としてのカヅサは優秀で指揮をとり纏める立場にある。
人材不足もあいまって多忙なのだろう。
「椅子での睡眠は効果的ではない。…僅かな時間しかとれないとしても横着せずに部屋に帰れ」
カヅサの職場には何度か足を運んだことがあるが仮眠室は記憶にない。
あったとしても自室と職場ではやはり気の張り方が違うものだ。
「…なんだ」
立ち去る様子もなく、なおも瞳を輝かせるカヅサに嫌な予感を抱きながら問い掛けた。
「いや、嬉しいなあ!僕の身体を気遣ってくれるなんてさ!やっと僕たち両想いに」
「貴様が倒れて困るのは誰だ。甲斐甲斐しく働く部下だろう。倒れても変わらずに働くというのならば構わんが」
「ハイごめんなさい」
椅子に座るクラサメに冷ややかに睨み付けられカヅサは降参の意を示して両手をあげた。
軽口を叩いてクラサメに睨まれるのは昔ながらだ。カヅサはめげない。
「ねぇ、僕が倒れたらキミは困ってくれるかい?」
扉に手を掛けながら興味本意で聞いてみると意外にも答えはイエスだったのだが、続いた理由は今のクラサメを思えば当然だった。
「…〇〇が気落ちするからな」
「デスヨネ。うん、知ってた。ハイハイ、またねクラサメ君、その彼女にもよろしく」
そう言付けて扉が閉められ間もなく廊下が騒がしくなった。
何事かと耳を澄ませると〇〇の声だった。
戻ったようだ。
カヅサと鉢合わせしたのだろうが、〇〇の弾んだ声だけが聞こえる。
一際大きく別れの言葉が聞こえ、〇〇が帰ってきた。
「ただいま」
そう言った彼女に連れはなく、一人きりだった。