帰るわよ!ええ帰りますとも!! 言いながら力強く絨毯を踏み付け扉に向かっていると。 「〇〇」 いつものトーンで名前を呼ばれた。 さっきの今でよくも。 深いしわを刻みながらも振り返る。 「明日も来るのか」 だから!さっきの今でよくも!! 「ハァ?来るわけ」 指差された先を見て言葉を詰まらせる。 指されていたのは、テーブルの隅に鎮座している時雨月だった。 …動けない。前にも後ろにも。 取りに行きたい。 非常に取りに行きたい。 が、クラサメが…。 まるでエリクサーの横に居座るベヒーモス。 悩みながら睨んでいると、そのベヒーモスは後頭部で腕を組んだ。 その様子を確認して、ソファを回り込んでにじり寄る。 油断大敵よ。 なんたってさっきの今。 瓶を引ったくって一気にらっぱ飲み。 呆気に取られているベヒーモスを尻目に、ドンと勇ましく空になった瓶をテーブルに置いて。 「ご馳走様でした!おめでとうございました!お邪魔しました!おやすみなさい!!」 捨てゼリフを放ち、ベヒーモスが体勢を整える前に逃げるように退出した。 いくつかの廊下を渡り、いくつかの魔法陣くぐり、〇〇はようやく歩みを止めた。 部屋に向かうはずだったが正面扉を抜けて今は外。 輝く星々。 真夜中なので他に生徒はいない。 噴水の縁に手を掛けしゃがみ込む。 何が、起こった? 誕生日を祝うだけだったはずなのに。 ほてった頬に手を当てる。 クラサメが私を? そんな考えが過ぎるが、頭を振って追い払う。 お酒のせいよ。 そんなまさか。 ありえない。 出会ってからかれこれ長い付き合いになっているが、フラットで良好な関係を保っていたはずだ。 いつから。 どうして。 「だから!違うってば!」 クラサメが、私を好き。 結局行き着いてしまう思考に、声を出して否定する。 ないないないない!ありえないから! 今の今までクラサメを良き友人としか見ていなかった〇〇は、この状況に困惑していた。 差し当たった問題は。 「次会うときどんな顔すれってさ…」 何度か飛ばした事がある記憶は、こんなときにかぎって飛んではくれない。 おかげさまでばっちりある。 気まずい事この上ない。 熟考の末たどり着いた答えは。 「…忘れたフリ、しかないよね…」 記憶から故意に抹消してしまうしかない。 一夜限りの出来事、なんて大人な対応は〇〇には無理だった。 重いため息をついて〇〇は立ち上がった。 「日記、どうしよ…」 就寝前、いつもつけている〇〇の日課。 だが今日のトピックスはどう考えても。 「ばーか…」 冷たい水面をぱしゃりと叩く。 「あーぁ…勿体ない飲み方しちゃった…」 美味しかった時雨月も苦い思い出になってしまった。 「すいませんユヒカ様…」 過去何度か日記に出てきた事のある四天王に小さく謝罪する。 あれもそれもこれも全部、悪いのは。 「あんの朴念仁!!」 頭に浮かぶ涼しげな人物を力強く睨みつける。 だがそれでも縁は切りたいわけではなく。 〇〇は首から下がってしるノーウィングタグとネックレスを握り締めた。 顔を上げ、朱雀の像に口の中だけで呟く。 そして小さくくしゃみをし、今度こそ部屋に帰るため踵を返した。 |