バレンタインデー
□バレンタインデー
時間は流れてその日の放課後。
部活も休みだったため、幸村はお市と連れ立って調理室に足を向けた。
丁度、お市が所属する調理部の活動日で、調理室に入った二人を出迎えたのは、部長である二年のかすがだった。
「……そうか、お前達も……」
「ということは、かすが先輩もまつ先生に教わろうと……」
かすがが国語教諭の上杉謙信先生を盲信的に崇拝していることは、婆裟羅学園の生徒であるならば誰もが知っている事だ。
それは恋愛に関して、かなり鈍い幸村でさえも周知の事実である。
「まぁな……。謙信様には、お会いしたその時から毎年お渡ししているのだが、……毎年、手作りに挑戦しては失敗して……」
そう小さく打ち明けたかすがは、目に見えて項垂れていった。
普通の料理とお菓子作りは、似ているようで製作過程に大きな違いがある。
繊細なお菓子作りは、少しでも分量を間違えたり、道具の汚れや僅かな水分一つで失敗することもある。
それで毎年失敗してしまい、結局買ってきたチョコレートを渡していたらしい。
「だが、今年こそ完璧な手作りチョコを渡したい!だから私も、まつ先生に教わろうと……」
恋する乙女というものは、何ともパワフルである。
男勝りな口調が目立つかすがとて、一人の恋する乙女だった。
「お邪魔します、お市ちゃん、かすがさん!!」
「ひぎゃっ!?」
突然背後から掛かった甲高い少女の声に、幸村は情けないながらも短い悲鳴を上げる。
調理室の扉を勢い良く開いて飛び込んで来たのは、もう一人の恋するパワフル乙女の鶴姫だった。
彼女は隣の西婆裟羅学園の生徒なのだが、交流の多い両校の生徒は、こうして気軽に入ってこられる。
それを咎める教師もいない。
…無論、放課後に限ったことだが…。
最早一つの学園といって良いのだが、合併されないのは互いの理事長の不仲が原因である。
「あ、幸村さん!!やっぱり幸村さんも私達と同じ考えなのですね!!」
「つ、鶴姫殿!余り大きな声でそのようなこと……!!」
放課後といえど、校舎にはまだ複数の生徒が残っている。
こんな事を他者に聞かれようものなら、恥ずかしすぎて学校に来られなくなってしまう。
「あ、失礼しましたっ」
幸村の気持ちを理解したのか、鶴姫はすぐに口を噤み調理室の扉を閉じた。
それから程なくして、調理部の顧問でもあるまつが調理室にやってくる。
最初こそ部員ではない幸村の姿に驚いたものの、事情を聞いて二つ返事で了承してくれた。
それから計画は着々と進められた。
先ずは何を作るかを決めるため、鶴姫が持ってきていたレシピ本を全員で覗き込む。
ぺらぺらと捲られていくページには、完成されたお菓子と作業工程の写真が、解りやすく掲載されている。
粉を塗した丸い形のトリュフ、口溶け滑らかなパヴェ・ド・ショコラ(生チョコ)
代表的なチョコレートケーキのガトー・ショコラ、ココアを混ぜたミルクレープ等、目移りする程沢山のレシピがあった。
かすがは去年挑戦して失敗したロールケーキ。
鶴姫はトリュフ、お市はガトー・ショコラと作るものを決めていく。
幸村は渡す相手の事を思い浮かべた。
相手の事を全て知っている訳ではない。
甘いものは好きだった?
それとも苦手だった?
ふと気づけば、いつも女生徒の視線を集めている人。
こういった行事は嫌いだっただろうか。
きっと他の女性から、沢山チョコレートを貰うだろう。
それでも自分から、……男の自分の手から、あの人は受け取ってくれるだろうか……。
ぐるぐると色々な事を考えながら、本のページを捲る。
そして決めた。
「……では、某はこれを……」
怖ず怖ずと写真を示すと、それを見たまつはニッコリと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。きっと喜んでくださります。お贈りしたいその気持ちが、何より大事でございますれば……」
「……はい!」
安心させるようなまつの笑顔と言葉に、幸村は久方ぶりに元気一杯の笑顔を浮かべて頷いた。
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