<2004年活動内容>
1月、日時決め・作品決め終了。
2月、理容組合にチケット窓口を依頼終了。
3月、チケット500円の金額は三月に決定。
3月、優秀映画鑑賞推進事業実行委員会を発足。
4月、時代劇作品を教育委員会に提出。
4月、映画祭ユニフォーム製作。
5月、時代劇作品の許可が下りる。
5月、抽選賞品提供店の公募は上映会が始まるまで進行中。
5月、スポンサー集める。
5月、オープニングロール製作始まる。
5月、市長の挨拶収録(オープニングロール用)
5月、雲州ふらた映画祭の会議を行う。
5月、チケット販売の為150名に20枚を配布終了。
6月、平田の町の交差点30ヶ所に時代劇上映告知看板設置、無事終了しました。
6月、商工会議所から弁慶衣装を借り会場で4人の弁慶がお出迎え企画終了。
6月、うどん・たこ焼き・大判焼き・かき氷のお店手配完了。
【2月】、アイ・ラブ・ピースを上映
【5月】、新作アニメ「名探偵コナン」上映
【6月】映画塾に参加
が現在までの雲州ふらた映画祭の動きです。

『初心に戻って』
飽きっぽい性格の私が映画祭を四年間も続けています、今年で五年目になります。

2000年の4月、錦織監督と日下部氏が「守ってあげたい!」のチケット販売に私が協力した事に対してお礼にお店に来られたのがそもそもの切っ掛けでした。

監督の弟さんから平田出身の映画監督がいる事を聞きました。
「監督業」に夢を抱き田舎から都会に出て行った人間を応援する事も、田舎で生活している人間の役割だと思いチケットを245枚販売しました。

私個人では応援も限られているので異業種交流会「春夏冬会」20名に錦織監督を応援したいので平田に映画祭を結成する運びになりました。

7月4日しまね映画祭に加盟し7月6日錦織監督を招き現在の長岡市長・加田助役・荒木総務部長・川瀬秘書様と春夏冬会が集まり2000年の10月9日に行う平田映画祭に向けて動き出しました。

270万円の映画祭を10月に開催しました(普通は100万円を予算)で映画祭を開いています)
東京から女優三人を含み計八人ゲストを呼び2,000人のお客様が来てくれました。
「イベントを実行する為には先ず資金を何処から捻出するかを決めなければなりません」

その10月の末、錦織監督から電話をいただき「監督の夢であった故郷を舞台に映画製作」が出来る様になったと聞きました。それが『白い船』でした。

春夏冬会での映画祭は一回きりで結成した為『白い船』の為にも平田に映画祭を存続しなければならないので2001年2月「雲州ふらた映画祭」35名の会社員・公務員・学生で結成しました。

ボランティ団体で映画祭を実行して行く事は大変難しい事です。
特に商売人(春夏冬会)でない、新しい若い会員では人に頼む事が出来ない事は重々解かっているつもりでした。
しかし新しい会は私が思っていた以上に動いてくれました。
「白い船」のエキストラ集め、撮影現場の掃除、チケット販売、DVD・ビデオ販売・「同窓会」・のぼり旗・大看板・プレミア上映の手伝い・平田での『白い船』上映・角松敏生氏のライブ終了後のオフ会など色々と行ってきました。若い会員だから出来たと感じています。
一つ一つの苦労話もありますが書くと長くなるので省略します。
この他にも公民館・老人ホーム・イベントの手伝いで無料で映画を上映しています。

現在は平田市民では無い方もたくさん会員になっていただき活躍してくれてます

それが「雲州ふらた映画祭実行委員会」として成長の過程です。

2004年3月 西尾博幸

≪雲州ふらた映画祭トレードマーク≫
これは四年前に雲州ふらた映画祭実行委員会を結成した時、会員全員で決めたマークです。

三角は大きな意味を持っています。
1)映画を鑑賞される市民が喜ぶ事を意味します。
2)映画祭を応援してくれる人が喜ぶ事を意味します。
3)映画祭の会員が動き楽しみ喜ぶ事を意味します。

映画のフィルムで「ひらた」を囲み活性・定住・福祉・教育を考えイベントを行っています。
関った人が喜ばれない団体であれば永く続かないと思っています。
関った方、全員が仲間として『平田はひとつ』に近づけたいと考えています。
原市長時は行政・商業・農業・漁業がひとつとなり「平田はひとつ」の時代を平田祭りのビデオで見受けられました。
 合併で平田市はなくなります、しかし「ひらた」はなくなる事はありません。
これからも「ひらた」で住む人々が「面白い町」と言ってくれる町であって欲しいと思います。
 そして今まで『平田』から出て行った人々が故郷を想い起こし帰って来てくれる町にして行きたいと思っています。
★現在なんで私達がこんな事をしているのか・・・これからも平田が住み良い町であって欲しいからがんばっています。

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