鳥さんから頂いた小説です。

いばら姫

(ヒルまもパロ)



まもりは華族に生まれ、蝶よ花よと育てられた箱入りのお嬢様だった。
しかし当主が倒れ、もはや数ヶ月の命と宣告を受けた。
このままだと跡継ぎとなる男が居ないために家が断絶され、土地や財産、家財一式全てを失ってしまう。
焦った母親は、婿養子となる男を探すべくまだお披露目には早い年の彼女を社交界へと連れ出した。
そこは社交界という名の、人身売買会場とも取れる場所だとまもりには思えた。
女は須く家の道具であり、男が居なければ家は存続しない。
それで足元を見る男たちに媚を売る女たちの姿に、まもりは呆然と立ちつくした。
家なんて、と、まもりは呟く。
自分の生い立ちを特に考えたことはなかったが、こんな男たちに媚を売るくらいなら家なんて無くなってしまえばいい、とも思った。
けれど。
まもりの双肩には、まもりはもちろんその母親、使用人たちの人生もあった。
彼女が男を見つけられなければ、姉崎家はもう終わり。
問題がまもり一人のことだけでないだけに、まもりは逃げることも出来なかった。
若干幼いとはいえ、若く美しいまもりの登場に、男たちは値踏みする視線を遠慮無く投げる。
まもりはそれさえ笑顔で受け止めねばならず、内心酷い吐き気を覚えた。
『あなたは女なんだから。女として家のために出来ることをしなさい』
けれど母親の言葉がいばらのようにまもりを締め付ける。
やがて一人、また一人とまもりに声を掛けてくる。まもりは誘われるがままに踊り、花を飛び回る蝶のようにくるくるとステップを踏んだ。
その度に踏みつけるのが自分の心のようで、まもりは笑みつつも薄暗い気持ちで踊り終え、壁際に戻る。
「姉崎の娘か」
その声にまもりは顔を上げた。そこにはおおよそ貴族らしいとは言えない外見の男が立っている。
正装が当然の会場で、金色の髪を逆立て黒ずくめの洋服で身を固めている。
昼日中に道で見かけたら間違いなく視線を逸らす類の男だった。
なんで彼みたいな男がこんなところで咎められもせず居座っていられるのだろうか。
「・・・そうです」
「へえ」
男はまもりをじろじろと遠慮無く見て、さすがに居心地が悪くなって俯いたあたりで口を開いた。
「家名剥奪を避けるために身売りか」
「・・・」
まもりは沈黙する。
それは肯定と同じだったけれど、この男の前で不用意に発言してはいけない、そんな直感を信じた。
「名は」
「姉崎まもりです」
視線を合わせず、まもりは口早に名を名乗った。男はその反応に楽しげに喉を鳴らす。
「俺の名は蛭魔妖一」
「!!」
世間に疎いまもりでも聞いたことがある名に、まもりはばっと顔を上げた。
どんな手を使ったのか、のし上がって社交界などの貴族の集まりにさえ顔を出すようになった成り上がり者。
その恐ろしい外見にふさわしい非情な手口で全てをつかみ取る冷酷な悪魔。
まだ若いはずなのに、彼の年齢は杳として知れない。
それどころか全てが不詳で怪しすぎて逆に誰も調べられない妙な男と聞いている。
「ホー、テメェみたいなガキでも俺の名は知ってると見える」
「ガキじゃありません!」
思わずかっとなって言い返すが、この反応こそ子供のものだ。
すぐ気が付いて唇を咬むが、もう遅い。
「助けてやろうか」
その言葉はまさに悪魔の囁きだった。
「ガキ一人にお華族サマの肩書きは辛いだろ」
「ご心配なく。生まれてからずっとですから」
言いながらまもりはさりげなく左右に視線を向ける。誰か適当な人は通らないか。誰か助けてくれないか。
けれど二人の周囲には不自然な隙間ができていて、誰も近寄りはしない。
礼儀正しく反らされた周囲の視線は二人を完全に無視していた。
「誰もテメェなんざ助けねぇぞ。ましてやそんな、男なんて嫌いだ、っつー顔したガキならな」
「ッ!」
図星を指され、まもりは言葉に詰まる。
「このままテメェが何度こんな集まりに出ようが、粉かけようが、誰も靡かねぇよ」
「そんな・・・」
まもりは呆然と目の前の男を見た。
ヒル魔はニヤニヤと笑っている。
「心配するな。俺がテメェの男になってやる」
「嫌です」
まもりは間髪入れずそう言い切り、踵を返す。
けれどその動きは予想済みだったようで、ヒル魔はまもりの肩を難なく捉えた。
触れる手の熱に、まもりはびくりと身体を震わせるが、振り返らないように自分を律する。
「テメェの家名を寄こせ」
成り上がりの男が次に求めるもの。財産を手に入れた、なら次は名誉。
手っ取り早いもの、それは婚姻による家名取得。
「俺は家名が欲しい、テメェは家を潰されたくない、利害一致だろ」
「貴方の言うところの、ガキ、なもので、損得で動きたくありません」
そのまま離れようとするまもりを、ヒル魔はなんなく片手で押さえた。
「それがガキだっつーんだよ」
「・・・離して」
「悪い話じゃないだろ。俺はテメェの財産その他諸々には全く興味はない。ただ家名だ、それだけありゃいい」
まもりが将来引き継ぐだろう財産も全て関係ない、と男はのうのうと言った。
実際彼が噂通りの男なら金で家名を買うことくらい訳ないようだった。
そんなまもりの疑念を見透かしたようにヒル魔は続ける。
「余計な金もかからず手に入れられるならその方がいい」
嫌だ、と言いたかった。
けれどまもりの喉にゆるりと触れた手は、細いのにひどく恐ろしかった。
「最初からテメェに選択肢なんざねぇんだよ。今俺から離れても、テメェには俺と話した女、っつー印象がつきまとうからな」
「な・・・」
「テメェはもう俺のモンになるしかねぇんだよ」
とうとうまもりはその言葉に振り返ってしまった。
ヒル魔はまさしく悪魔の顔で笑う。
「安心しろ、ガキには興味ねぇ。とりあえずは婚約者ということで手出ししねぇよ」
絶句するまもりの手を、ヒル魔は恭しく取った。
目の前で手の甲に触れる唇ばかりが熱く、まもりは抵抗空しく悪魔と契約が成されたのだ、と知る。
にやりと笑うヒル魔を、まもりはただ見つめることしかできなかった。


そうして程なくして、姉崎家の当主が亡くなった。
慌ただしくなる屋敷の中を、周囲の喧噪などものともしない黒ずくめの金髪男がゆっくりと歩いていく。
目の前に物言わぬ冷たい父。呆然と座るまもりの傍らに泣き伏す母親。
父親が死んで、確かに悲しいのに、それよりももっと恐ろしいことが起きる。
日々手入れを欠かさない扉が、さほど音を立てずにゆっくりと開いていく。
そこに立っていた人影を見て、まもりは力が全て足から抜き取られていくように感じて、ゆっくりと身体を傾がせる。
それを当然のように抱き留めた男は、酷く満ち足りた顔で、ゆったりと嗤った。

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