風姿華伝書

□華伝書145
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……空耳、か。


あの人に……呼ばれた気がした。






……総司さん。


「み…………」


     宗次郎さん……

総……、  ……ン






    カーン……






「……………っ」


何かが、胸を騒つかせた。

ピクッと、指先が震える。

(……何だ。今さっき……)

「……沖田先生?」


―……《何か》………――

先生は、身を起こした。


何だろうかと、傍らに立つ

優を始め、原田さん達も


双肩を抱き合う手を解く。

先生は幾度となく、辺りを見回した。


しかし、周りは優や


原田さん達に早朝故か、


人気はなく、相変わらずに

灰色一色の煤けた瓦礫が


散乱しているのみ……。


先程、感じた胸の騒つきを

安らげるものは何一つ見当たらなかった。


(……気の、せいか………)

ヒュウ……と、耳元を通り

抜けていった風が、雲間


から差す朝日を纏い、


暖色に染まっていく。


先生は再び、瓦礫の中へと崩れていった。


――――――忘れろ。


ふと、その脳裏を土方さん

の低い声色が駆け抜けていく。


知らぬ内に、微笑んでいた。


(もう……どうしようも


ないというのに…………)

幻聴を、聞いたと思ったのである。


ドクンドクンと、確かに


鳴る心臓の音が段々と地へ

しみ込んでいくのを感じながら


先生は、笑うしかなかった。


こんなにも哀しいと言うのに


涙一つ、出てこない……


泣く方法すら、わからなく

なった己が……………


(滑稽だな…………)


可笑しくて……滑稽で、


仕方なかったのである。


冬の始めの朝。


薄らと、地面から白煙が


立つ中、フフッ……と微笑む


先生の擦れ声が、


何時までも何時までも


途切れることなく、辺りを

哀しみ一色へ誘っていた。






    カーン……


過ぎ去った過去にしがみ付き


沸き立つ希望に、顔を覆って。






―――――……カーン。


(………………っ)


……そして、


     カーン………。

「…………音……」


再び、先程の音を耳にした

時、先生は吸い付くように

冷えた地面へ耳を傾けていった。


「先生っ?一体、どう…」

先程までの様子とは余りに

異なった先生の姿に、


驚いた優が声を掛けるが


「っ、原田さん!!」


その言葉はあっさりと


先生の言葉にかき消されてしまった。


思わず、ビクッと肩を


震わせる程の声が、焼け跡

一体を包み込んでいく。


「総司?」


「この辺りに、《地下》へ

降りる道はありませんか!?」


地下……?と、原田さんは首を傾げた。


一瞬。


「どこからでも良いんです。


この屋敷の地下へ、潜る


方法はありませんか!?」

ついに狂ったのか、とも


考えたが余りにも必死な


問いと、振り返った際


先生が見せた真っ直ぐな


瞳が、そうではないことを

自ずと物語っていた。


「屋敷内からなら、出入り

出来たって話だが……」


「今は崩れっちまって


とても入れやしねぇぞ」


腕組みをしながら、なぁ…

と顔を見合わせる二人に


そうですか、と先生は俯く。


しかし、すぐに顔を上げる

と四方八方へ視線を走らせていった。


目の前に転がる煤けた柱、

焼け跡を囲う長い白塀、


庭の柊、背後に立つ門……

「……………っ!」


そして………………。


    ダダッ!


「あ、沖田先生っ?」


「っ、総司!?」






先生は勢いよく、瓦礫を


飛び出していった。


その、本当に怪我人かと


疑いたくなる程の、身の


こなしの素早さにただ、


他の三人は先生の背後を


追い掛けていくだけであった。


冷えた地へ立つ霜が、素足に食い込む。


しかし、はだけた着物の


間から時折覗く、薄ら紅色

に色付いた包帯も気にせず

先生は一直線に、ある場所

へと駆けていく。


何度か、転びそうになった

が何とか足を続けた。


すっかり山際を上りきった

朝日がその背をキラキラと照らしだす。


……………そして、


   ゼェ、ゼェ……


「きゅ、急に走るんじゃねぇよ」


「何事かと、思ったわ」


「一体、何だってんだよ総司。


その………………」











――…《古井戸》が…――

四人が辿り着いたのは、門

と共に焼け残った、門脇に

ひっそりと立つ古井戸。


ゼェ……と、息をきらし


ながら尋ねたのは永倉さんであった。


当然……といえば当然の質問であろう。


焼け残ったとはいえ、長い

間使われていなかったと


見える、その井戸には灰と

共に何年分もの埃が溜まり

水を汲むための桶はおろか

滑車も既になく、人の落下

防止にか蓙が掛けられて


いるという有様だったのである。


すると先生は、数歩、その

井戸の傍らへ進み出ると


ガサッと蓙へ手を掛け……

「さっき、地面に蹲って


いた時、地下から乾いた


音が響いてきたんです」


「音……だと?」


「それで地下へ降りる道を

と言ったんだな?しかし、

どう見ても、これは普通の井戸だぞ?


どうやって地下へ……」


そうですね……と言いつつ

それまで井戸を覆っていた

蓙を、一気に取り払った。

と、同時にホワッと埃が


立ち上り、優の咳を誘う。

先生は、そんな優の背を


擦りつつ…………


「……しかし、これは普通

の井戸ではありません」


と、口を開いた。


「っ、どういうこった総司っ?」


「普通じゃねぇたぁ」












「……《枯れ井戸》です」

「…………っ!!」


辺りから、言葉が消えた。
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