風姿華伝書

□華伝書145
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――夕暮れ時。


酉の刻(約六時頃)を告げる

鐘の音が、低く都を駆け巡っていく。


沈んだ陽の残り灯が、山際

の輪郭を、燃えるような


紅一色に染め上げている。

そんな、茜色に染まった


空をキラリと、一粒の星が

流れていった。


「…………………」


それは、祇園に座り込んだ

決して泣けぬ男の、涙か…

はたまた、河原から動けぬ

男への、励ましか………。

尊い……女達の灯と共に


一日が、終ろうとしていた。







「……。総司は、どうしてる?」


その夜。


「聞くまでもねぇだろ」


夕食を終えた局長が部屋へ

戻ると、土方さんが一人


煙管を片手に下座へ腰を下ろしていた。


その様子と返ってきた言葉

に、局長の肩が大きく上下する。


「……そうか。まだ、


祇園に…………」


「あぁ。永倉達の話じゃ


誰が何言っても、うんとも

すんとも言わねぇらしい。

まるで《腐っちまった》とな」


そうか……と、同じ言葉を

繰り返しながら、局長は


障子戸をしめきると静かに

空けてあった上座へ座った。


フゥ……と、土方さんの


唇を離れた細煙が、行灯の

灯りで薄緋色に染まった


障子戸へ、溶けていく。


「だが、仕方もないだろう。


あいつは漸く、己の気持ち

を定めたばかりだったんだ。


それが、こんな………っ」

「っ、だからって。あんた

まで腐っちまったら困るんだよ」


まるで喪に服したかのように


静まり返った屯所内へ


一喝した土方さんの言葉が

反響していく。


ガツッと、煙管が鳴った。

ビクリと大きな肩を震わせた


局長の背後に掛けられた


《努力》の文字が一瞬、


振れたようであった。


「……平助もまだ、戻って

ないそうだな」


「そちらも、似たような


もんだ。身請する予定


だった女を失ったらしい」

一瞬。


局長の言葉が止んだ。


グシャッと、その手が膝元

の黒袴へ皺を寄せていく。

「トシ…………」


口火をきったのは、局長であった。


すぐそばの中庭に植えられた


楓の葉が薄らと障子戸へ


浮かび上がる。


ん?と、土方さんの顔があがった。


「二人の件は……私に


決めさせてくれないか?」

「……………っ」


その口元が次第に、一文字

へと力強く結ばれていく。

答えようとした言葉が、


喉から先、出てこなかった。


近藤局長は…………


「…………頼む」


ジロリと半ば、睨み付ける

ようにじっと、土方さんの

瞳を貫いていたのである。

その気色はいつか見た……

『芹澤局長を…《斬る》』

「っ、……どうせ。止めた

ところで、あんたのことだ

聞くはずもねぇ。勝手にしな」


《あの瞳》と、同じものであった。






「失礼しますっ。副長、


例の異人を納屋へ移しました」


と、そこへ飛び込んできた

のは、まだ年端もいかぬ


若い隊士の声。


異人……?と、一瞬、


局長の頭が傾く。


すると、最近買ったばかりの


真新しい一張羅をなびかせ

「あぁ……。わかった」


颯爽と、局長室を後にしていった。


ドスドスと、廊下の板張り

を鳴らして歩む、その顔に

ふと、笑みが零れていた


ことは、言うまでもない。
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