風姿華伝書

□華伝書145
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   ジャリ……


先生は一歩、歩みを進めた。


少し、湿り気を帯びた風が

苦痛に歪む先生の身を包んでいく。


次第に陽も傾き始めた中を

片足を引きずりつつ、進む

長々としたその蔭が、背を

ひっそりと追い掛けていた。


あ……と、時折。


先生の事情を知る他の組長

や隊士達が、瓦礫の撤去や

遺体処理の傍ら、顔を


上げたが、その虚ろに歩む

姿を目に、ただ気色を暗く

する他なかった。


何と言って、言葉を掛ける

べきなのか…………。


――みつはもう、いない―

……わからずに、いたのである。






「っ、総司?お前、療養中

じゃなかったのか」


…………と、そこへ。


張り詰めた空気を飛び出す

ように小走りでやってきた

のは、永倉さん。


捕縛者を捕えることだけが

新選組の仕事ではないと


自ら被災した祇園へ向って

行った局長を追い、この


二日、寝る間も惜しんで


隊士達と瓦礫処理にあたっていた。


運が良いのか、悪いのか


火消達の働きも重なり、


何とか飛火は免れたものの

その敷地の広さが災いし


二日経った今でも、まだ


瓦礫が残ったままだったのである。


もう夕暮れということもあり、


ポツリポツリと、手伝いに

やってきていた大工達も


瓦礫処理を終え、帰り始める中……


「まさか……。みっちゃん

探しに来たのか?」


「………………」


先生は問い掛ける永倉さんに


見向きもせず、一心不乱に

灰と化した山吹屋へ歩みを

進めていた。


ダンッダンッと、大刀を


地面へ突く度、焦げた香り

と共に、二階から一気に


崩れたと見える、変わり果てた


店の残骸が近づいてくる。





ダンッ……ダッ…


      ……ガッ






そして…………。


    ダンッ


大きく一歩、踏み込むと


同時に支えの大刀を地面へ

突き立てると…………


「みつさん……」


ポツリと、呟いた。


その目の前には…………


何層にも複雑に絡み合った

焦げた柱や瓦、そして


山と吹屋の間から無惨にも

真っ二つに割れた、かつての


看板が転がっていた。


その背後から注ぐ夕陽に


照らされ、真っ黒な瓦礫が

紅黒く、染まっていく。


……と、その刹那。


「あっ、おい。総司、何を!?」


それまで、大刀を支えに


何とか立っていた先生が


急に瓦礫の山へ足を踏み込み始めた。


一体、何事だと、驚いた


永倉さんや井上さんが


止めに入る。


例え大人でも、一歩足を


踏み外せば落下して大怪我

……ということも十分に


あり得ることである。


況してや、怪我人なら……

と、居ても立っても


いられなかったのである。

今だ時折、ガララッと


音を立てて崩れていく


瓦礫の中で…………


「返事を、してください!

そこにいるんですよね、


……みつさんっ!!」


「っ、総司!落ち着けっ。

俺達も、この二日。散々、

捜し回ったんだ。でもっ」

「それならまだ、ここに


いるのでしょう!?


斬られても、必ず生きて


戻ってきた人です。今だって


きっと、この下で……っ」





「総司っ!!!!!!」






己の身を顧みず、みつを


捜す先生を一喝したのは…

「……………っ」


「……いい加減にしないか」


幼い頃からの先生をよく知る


試衛館門人の一人、井上さん。


近藤局長達の兄弟子にあたり


その穏やかな性格からか


苛められがちであった


幼い先生ともよく鬼ごっこ

をする、そんな仲であった。


そんな、滅多に声を上げる

ことなどない井上さんが今

「皆……おみつさんには


世話になった身だ。皆……

この二日、本当に必死に


捜し回ってる。だが、


見つからない。本当に…」

「っ、…………」


―見付からない、んだ――

眉間に皺を寄せ、半ば


睨み付けるように口を開いていた。


「本当に、髪の毛一本も出てこないんだ」


飛び付くように先生を


押えていた両手を解きつつ

永倉さんも俯きながらに


言葉をつむぐ。


ガララッと、先生の手から

炭になった木片が転げおちていった。


舞い上がる風が、灰と共に

先生の長い黒髪を右往左往に遊ばせる。


そして、先程まで長々と


皆の背にくっついていた


蔭が、その輪郭を失った頃

「……どうして…………」

「総司?」


為す術もなく立ち尽くして

いた先生がふと、口を開いた。


どうした?と問いかけよう

とした永倉さんは思わず、





「己の気持ちを後回しにしてまで


京の人達のためと、働いて

その結果が、どうして


《こうなる》んですか!!?」






……言葉を、飲み込んだ。

「罰というなら、今まで


幾度となく人を手に掛けて

きた私が受けるべきでしょう!?


みつさんに、命をおとす


理由はなかった!!


なかったんです!!


それなのに……っ!!!」





―どうして、死なねばなら

 ないのですかっ!!?―





「……総司」


そこにはもう、新選組の


一番隊を背負う組長の姿は

なかったのである。


そけにあったのは、ただ


愛しい者を失った、哀れな

一人の、男の姿…………。





繰り返した……


 《助けられなかった》


     ……失った


もう、いない。







    ドシャッ!


先生は、その場に崩れた。





――……もう、逢えない。
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