『流れる紅』

□違和感
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「ここから先は近づかないで下さい!」


警官の指示が飛ぶ。雑木林の周辺にはロープが張り巡らされ、関係者以外が近寄れないようになっていた。野次馬と、警察がロープの境目で押し問答になっている。

その場所から少し離れた場所にクリスはいた。クリスは俯いたまま、公園のベンチに座っている。傍らにはゴールドが、彼女を守るように立っていた。

クリスの顔は、いつもの健康的な肌の色ではなく、まるで病人のように青白い。クリスは悲鳴を上げた直後、気を失ってしまったのだ。ついさっき、気が付いたばかりだった。


「……情けないなぁ…。私…。」


ポツリ、とクリスが言った。か細く、小さな声。普段のはっきりした声とは、かけ離れた声だった。


「情けないって…、何でだよ。」


クリスの声は、すぐ傍にいたゴールドにも届いた。ゴールドは、クリスが言った言葉に眉を寄せる。


「だって…、さっき大丈夫って言ったばかりなのに…。」


そう言って膝を抱える。クリスの声は震えていた。もしかしたら、泣いているのかもしれない。彼女は責任感が強いから。自分の不甲斐無さが許せないのだろう。

だけど、とゴールドは思う。クリスは何も悪くない。ゴールドとて先ほどの現場を見て、身体が震え上がった。見物人たちも、誰もが口を手で覆っていた。皆がそのような反応だったのだ。クリスばかりが、過剰な反応を示したわけではない。


「クリス、あれは…しょうがないだろ?むしろ…、お前の反応が普通なんだよ。」


あの時、悲鳴を上げたクリスを、誰が責めるというのだ。誰もが震えていた、あの時に。


「でも…。」


ゴールドの言葉にクリスは言い淀んだ。そんなクリスに、ゴールドは彼女の瞳を見て言う。


「あんなもん、見て平気な方がおかしいんだ。」


だからもう気にするなよ、とクリスの頭を軽く叩いた。
クリスは叩かれた部分に手を置いた。叩かれた、というより、優しく小突かれた、という感じだった。
普段は表に出さない彼の優しさが、心に染みた。


「うん…。ありがとう…。」


「んなこと言われる筋合いねーよ。」


頬を掻き、僅かに照れている顔で、そのようなことを言われても全く威力はない。彼の不器用な言葉は、クリスにとって紛れもない励ましの言葉だった。
二人の間には、穏やかな風が凪いだ。

そこに一人の警官が近づいてきた。真っ直ぐ二人に近づいてくる警官に、ゴールドが声をかける。クリスも顔を上げた。


「なんスか?」


「ああ、君たちかな?協会から依頼を受けたのは…。」


「そうですけど…。」


その警官は、たった今協会から連絡があり、捜査に協力してくれ、と言われたことを伝えた。


「そうですか…。それじゃあ、すみませんが、早速現場に連れて行ってもらえませんか?」


クリスが頼むと、警官はすぐに承諾した。
ゴールドは、クリスが言ったことに目を丸くし、彼女の肩を掴んだ。


「おい、さっきまで気を失ってたやつが何言ってんだよ。」


小さな声でクリスを諌める。ゴールドの心遣いを嬉しく思ったが、クリスは肩に置かれている彼の手をゆっくり下ろした。
そして、真っ直ぐに彼の金色の瞳を見た。水面のように澄んだ瞳が、強い意志をもって輝く。


「…確かに、まだ怖いけど……逃げたくないの。」


目を逸らしたくなるような現実でも、逃げたくない。そして、何より…目の前に彼の足を引っ張りたくない。
クリスの強い瞳を見て、ゴールドは小さく溜息を吐いた。


「……しょうがねーなぁ…。今度は気ぃ失っても支えてやらねーからな。」


「ありがとう、ゴールド。」



現場に着くとすぐに、二人は遺体に近づいた。
そこにあったのは、三十代半ばくらいの男性の遺体。身に着けている服は、素人目にも高価だと分かるスーツ。
警官が、この男性の身元を教えてくれた。


「この方は貿易会社<リベルコーポレーション>の社長です。」


「外国と深く関わっているっていう、あの…?」


クリスが驚いたように言った。それにゴールドが疑問を持った。


「何だよ、それ?貿易で外国と関わるのは当たり前だろ?」


そもそも外国と関わってこそ、貿易は成り立つのだ。クリスの言い方はどこか変だとゴールドは感じた。


「貿易そのもののことじゃなくて、やり方の話よ。」


「やり方?」


「ええ。この人っていうか…リベルってかなり強引な取引の仕方をするらしいの。何回かニュースで問題になったのを聞いたことがあるわ。」


「へぇー…。」


俺はニュースなんて聞かないからなぁ、と心の中で呟いた。そして今は冷たくなってしまったリベルの社長の顔を覗き込んだ。

目は見開いたままで、顔は恐怖に引き攣っている。上半身、心臓のある位置は紅と黒が入り混じり、強い鉄の臭いを漂わせていた。
生前、この人物がどのようなことをしていたのか、ゴールドは知らない。どんなことをしていたのかは知らないが、酷過ぎる。少なくとも、ゴールドはそう感じた。


「…ん?」


「どうしたの、ゴールド?」


「いや…。」


言葉を濁しながら、ゴールドは死体を見つめた。


「(何か…、変な感じするな…。)」


何が、と聞かれれば分からない、と答えるだろう。それくらいの小さな違和感。
クリスは、黙ったまま死体を見つめるゴールドに話しかける。さすがに、じっと死体を見つめるゴールドに疑問を感じたのだ。何か見つけたのか、との意味も込めて、彼に質問をした。


「ちょっと、本当にどうしたのよ?」


「…なぁ、クリス。変な感じしないか?」


「は?」


ゴールドが言っていることを理解できず、クリスは疑問の声を上げた。


「なんつーか…、違和感あんだよ。この仏さん。」


「違和感って…。」


一体、どこに違和感があるというのか。動かぬ骸を見つけてみるが、どこにもそのようなものは感じない。途中、瞳孔の開いた瞳と自分の目が交差してしまい、思わず背筋が寒くなったが、それ以外に感じたものはなかった。


「どこにあるのよ?」


ゴールドの言う違和感が分からず、クリスは彼に尋ねた。答えが返ってくることを予想していたのだが、返ってきたのは求めていたものと反対の言葉だった。


「それが分からねーんだよ…。」


やれやれ、とゴールドは溜息を吐いた。側に控えていた警官も、ゴールドの言う違和感が分からないようで、首を傾げていた。

―ピピピッ

突如、機械音が辺りに響いた。音の発生源はクリス。正確には彼女のポケギアだった。
クリスはポケギアを手に取ると、慣れた動作で回線を開く。


「はい、クリスです。…シルバー?どうしたの?」


相手はシルバーだった。何故シルバーが掛けてくるのか。ゴールドは訝しみながら、二人の会話を見守った。


「えっ、それ本当!?」


クリスが驚きの声を上げる。その顔は、心なしか落胆の色があった。


「…うん、分かった。ゴールドにも言っておくわ。」


一体何だというのか、ゴールドは頭を捻った。クリスの驚きようからして、よほどのことがあったのだろう。
ゴールドが悩んでいる間に、会話は終了したらしい。クリスはポケギアをしまうと、ゴールドに向かって言った。


「…レッド先輩、全然連絡取れないから、捜査への協力は期待しないほうがいいって…。あと、多分しばらく…帰ってこないだろうって…。」


それを聞いたゴールドは小さく声を上げた。


「それ…、マジか…?」


「こんな嘘吐いて何になるのよ…。」


二人とも落胆の色を隠せなかった。
レッドは彼らにとって、とても大きな存在なのだ。太陽のように、いつも自分たちを元気付けてくれる。何があっても、彼がいれば大丈夫だと思えてしまうのだ。

そして、ゴールドはレッドを人一倍慕っている。いつもの横柄な態度が、レッドの前だけでは素直なのだ。シロガネ山から帰ってきた時の彼らは、まるで兄弟のようだった。
そんなレッドと仲の良いゴールドだからこそ、落ち込みは激しかった。


「……凹むぜ…、これは…。」


レッドに会える、という期待も持っていたのであろう。ゴールドは、どんよりと重い空気を背負っている。
クリスはそんなゴールドを励ますように言った。


「とにかく!落ち込んでてもしょうがないわ。今、私たちにできることをしましょう?」


クリスが言うと、ゴールドは少し覇気がなかったものの、やがていつもの調子でクリスに答えた。


「…そうだな。レッド先輩が帰ってきたときに報告してやろうぜ!」


二人はお互いに笑顔を交わし、新たな情報を得る為に捜査の輪に加わった。

辿り着く答えが、残酷なものであるとは知らずに。






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