『流れる紅』
□好敵手
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「…師、か…。」
{余計な感情は持つな。優しさや憐れみは、自分の命を危険に晒すだけだ。}
レッドが師から教えられたのは、殺人術と、その心得だけ。純粋に、師を尊敬しているグリーンを羨ましく思った。
「ピ?」
「何でもないよ、ピカ。さぁ、来るぞ!」
「ピッカ!」
ピカも戦闘体制に戻る。ハッサムには先ほどダメージを与えたが油断はできない。ピカはハッサムほど体力がないのだ。いくら有利な立場でも、強力な攻撃をまともに食らえば、形勢は一気に逆転してしまう。
「ハッサム、つるぎのまい!」
ハッサムの攻撃力が上昇していく。グリーンは一撃で勝負を決めるつもりだ。既にピカの電撃を浴びているハッサムにとって、長期戦は明らかに不利だった。
「…ピカ、今のうちに充填しておけ。」
レッドがピカに言う。レッドとて、勝負を長引かせるつもりはない。長引けば長引くほど、体力が少ないピカにはキツイ。
一瞬、ほんの一瞬の隙をつけばいい。
お互い、考えていることは同じ。
「「(次で決める!)」」
二人が動いた。
「メタルクロー!!」
「っ!ピカ、でんこうせっか!」
ハッサムが腕を上げた瞬間、ピカが高速で突っ込んできた。がら空きだった胴にピカの小さな体躯が激突する。
「な、何だとっ!?」
ハッサムは思いもよらない攻撃に、バランスを崩した。電撃ではなく、物理的な攻撃をしてくるとは予想外だ。
「今だ!かみなり!!」
―バチィッ!!!!!
「ハッサム!!」
―ドサッ…
ハッサムが音を立てて倒れた。グリーンが駆け寄る。
「しっかりしろ!…くっ…だめ、か…。」
ハッサムの体力は尽きていた。電気系で最も威力のあるかみなりを食らったのだ。体力が満タンの状態ならばまだ戦えたかもしれないが、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
負けは負けなのだ。
「勝負あり、だな。」
レッドが言った。グリーンはレッドを顧みて、感嘆の言葉をこぼす。
「ハッサムがやられるとはな…。ピカも随分強くなった。」
「ピカだけかよ?」
「お前はすぐ調子に乗るからな。」
そうかよ、と不貞腐れたようにレッドは言った。もう17歳なのにも関わらず、こういう仕草はまるで小さな子供のようだ、とグリーンは思った。
それにしても、本当にピカは強くなった。以前とは比べものにならないくらいに。今のピカには、何か特別な意志のようなものが感じられる。
それこそ、レッドが行方不明になった時のような、見つけ出す、護るという強い意志。
「(強くなったというより…あれは、鬼気迫る感じだな…。)」
一体、レッドに何があったというのか。グリーンは尋ねようとはしなかった。無理に聞いても、レッドは答えてくれないだろう。その判断が、後にグリーンを苦しめることになる。
グリーンは、ふと、自分に向かっている視線に気がついた。レッドではない。では誰の?
「…どうしたんだ?ピカ。」
目を向けた先にいたのはピカだった。ピカはグリーンに訴えかけるような視線を送っている。
「何でもないさ。な、ピカ?」
レッドはそう言い、ピカを抱き上げる。ピカは大きな黒の瞳を揺らし、か細い声を上げた。
「ピィ…カ。」
「…大丈夫だから。」
レッドはピカにだけ聞こえるように囁いた。ピカの頭を撫でつつ、グリーンに向き直る。
「ハッサムを心配してるんだろ?ほら、コイツ、ハッサムと仲良いし、それに優しいから。」
「そうか…?いや、そうだな。」
グリーンは苦笑しながら、ハッサムをボールに戻した。
「さて、俺はセンターに行くが、お前はどうする?」
「俺は家に戻るよ。…準備もあるし。」
「準備?」
レッドは少し言い淀んだ。ちゃんと笑えているだろうか。グリーンは鋭いから心配だった。できるだけ、普段の自分を演じながら言った。
「…修行の準備だよ。また、旅に出ることにしたんだ。」
するとグリーンは呆れたように溜息を吐いた。そしてレッドに恨みがましい視線を送った。
「レッド…。」
「な、何だよ?」
「お前…俺がジムから離れられないのを知ってるよな?」
そう、グリーンはジムを離れることはできない。二年前の事件以来、ジムリーダーに対する規定も厳しくなったのだ。
ジムを一ヶ月以上空ければ協会に呼び出され、最悪の場合、資格を剥奪される。先代のトキワジムリーダー、サカキや、チョウジジムリーダー、ヤナギ老人の前例があるだけに、仕方のない処置といえる。
「悪い…。」
本来なら、その役目はレッドのはずだった。だが、レッドは四天王事件の時に負った傷が原因で、グリーンに代役を頼むしかなかったのだ。
今では傷も完治しているし、グリーンと変わっても何ら問題はないのだが、トキワの人々にとって、もはやグリーンが真のジムリーダーだった。
グリーンはそのことに対して、少なからずレッドに負い目があったが、レッドはグリーンがジムリーダーで良かったと思っている。
イエローとの約束を破ってしまった、という罪悪感は拭えないが。
「まぁ、じっくり育てられるからいいけどな。ただし!」
「…?」
「帰ってきたら再戦だ。…勝ち逃げは許さないからな。」
グリーンがレッドの紅の瞳を射抜く。レッドはその視線から逃れたくて堪らなかった。
本当のことを言ってしまう。助けを求めてしまう。
それだけはしてはならないのに。
「…ああ。それまで、負けるなよ?」
精一杯の悪態をつく。声が少し震えてしまった。気付かれていないだろうか。レッドは早くこの場から離れたかった。
「当たり前だ!誰が負けるか。」
グリーンの新緑の瞳に、静かな炎が揺らめいた。レッドはそれを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「(ごめん…グリーン。)」
心の中で謝罪する。この友とも、これから会うことはないだろう。
「じゃ、俺はそろそろ帰るぜ。…じゃあな。」
これ以上ここにいたら何を言ってしまうか分からない。レッドはグリーンに背を向け、別れの言葉を紡いだ。
「次は必ず勝ってやるからな!」
背後で響いたグリーンの声。レッドは返事を声に出さず、代わりに手を振った。
…グリーンに背を向けたままで。
「(ごめんっ…!!今まで、ありがとう…っ!!!)」
レッドは泣いていた。心の奥で涙を流した。苦しみが、悲しみが、波のように押し寄せてくる。それでも、逃げることは許されない。
…もう、光の世界には戻れない。
グリーンはレッドの後ろ姿を見つめ、言い様のない不安に駆られた。何故だろう。普段大きなはずの彼の背中が、とても小さく見えた。
レッドがマサラから旅立ったのは、それから三日後のことだった。