『流れる紅』

□好敵手
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約束の日まで、あと三日に迫っていた。


――トキワシティ


トキワジムの前に一人の男が立っていた。逆立った鳶色の髪と、新緑の瞳を持った青年だ。偶然、ジムの前を通りかかった老婆が彼の姿を目に止め、不思議そうに訊いた。


「おや、グリーンさん。もう帰るのかい?」


グリーン、と呼ばれた男は老婆の質問に、ばつが悪そうに答えた。


「ええ、今日は私用があるので…。すいませんが、失礼します。」


老婆にお辞儀をして、グリーンはジムを後にした。


「…私用だなんて、珍しいこともあるもんだねぇ。」


一度もジムを自分の都合で閉めたことがない、あのグリーンが。


「そういえば…。今日はやたらジムが騒がしかったけど、何かあったのかねぇ?」


老婆の呟きに答える者は、その場にいなかった。


――マサラタウン

グリーンはリザードンに乗って、見晴らしのよい野原に向かっていた。心地よい風がグリーンの頬を撫でる。故郷のその風を全身で受け止めながら、グリーンは野原に佇む一人の青年に気がついた。

漆黒の髪を風に靡かせた、グリーンと同じ年頃の青年。彼の数少ない友人の一人であり、好敵手でもあるレッドだった。レッドはリザードン、もといグリーンに気がつき、良く通る声で話しかけた。


「よう、早かったな。」


レッドは笑いながら言った。だが、その瞳は決して笑ってなどいない。彼の瞳は、かつて戦った時と同じような、鋭い光を灯していた。
それを目に留めたグリーンは、表面上は不機嫌そうにレッドに話しかけた。


「早く来い、とジムに連絡してきたのはお前だろう…。」


溜息を吐きながら、地面に着地した。ここまで運んでくれたリザードンをボールにしまうと、グリーンは恨みがましい目でレッドを見た。


「まったく…。こっちは挑戦者を追い返すのに散々てこずったってのに、お前は一人で悠々としてたかと思うと腹が立つ。」


レッドを半目で睨む。本当に大変だったのだ。グリーンがトキワジムに就いて以来、噂を聞きつけてやってくるトレーナーが後を絶たない。今日も、本来ならあと五人ほど相手をしなければなかったのだが、レッドからの申し出があったために急遽取りやめたのだ。そいつらを追い返すのには苦労した。言っても聞きとめてくれなかったため、実力行使で黙らせてきたのだ。恨み言の一つや二つは言いたくもなる。

しかし、レッドは平然とし、皮肉な笑みを浮かべながらグリーンに言った。


「なら断れば良かったじゃないか。」


すると、グリーンは先ほどまでの不機嫌な顔を消し去り、挑戦的な瞳をレッドに向けた。かつて、レッドと戦った時のような鋭い眼だ。


「…いや、そろそろ強いヤツと戦わないと勘が鈍っちまうからな。」


「…素直にバトルしたいって言えばいいのに…。」


レッドが呆れたように言う。
そう、グリーンは飢えていたのだ。今日の相手に限らず、今までジムで戦った相手はどれも手ごたえのない者たちばかり。いくら{育てる者}でも、いい加減自分のレベルに合った相手と戦いたくもなる。
レッドの言った言葉の通りなのだ。
だが、


「それはお前もだろう、レッド。」


それはレッドも同じこと。グリーンやレッドと渡り合えるだけの実力を持つトレーナーは滅多にいない。ましてレッドは{戦う者}。二年前の事件より遥かに上の力を身に付けたレッドが満足に戦える相手など、グリーンやワタルなどの強者だけであろう。
もしかしたら、グリーンよりもレッドの方が戦いに飢えていたのかもしれない。そう思ったから、言った言葉だった。

レッドはグリーンの言葉に軽く目を見開いた。そして苦笑しながら言う。


「…そう、だな。ま、似た者同士ってことで。」


一瞬、レッドの表情に翳がさしたような気がした。


「レッド…?」


「ん、何?」


「…いや、何でもない。」


気のせいだったのか、グリーンはそれ以上何も言わなかった。深く追求することもできたが、レッドがそう簡単に言うとは思えなかったし、本当に一瞬のことだったので、追及するのは憚れたのだ。
この時、無理矢理にでもレッドから聞きだしていれば、後の結果も変化していたのだろうか。
レッドが、辛い時ほど自らに殻を被ることに、偽ることに気付いていれば。

レッドも、グリーンの様子を訝しんだ。グリーンが呼びかけに対してはぐらかすことは、そうあることではない。レッドは気付いていなかった。自分が、いつもの表情を作れていなかったことに。無意識のうちに、哀しみの表情を浮かべていたことに。

二人は、互いに不審に思いながらも当初の目的であるバトルの準備をし始めた。時間が経つにつれ、意識は自然とバトルに向く。
悲しいかな、二人は最初に感じた違和感を既に忘れてしまっていた。


「さて、それじゃ始めるか。」


「ああ、ルールは一対一の一発勝負でいいな?」


あまり時間がない、と言外にグリーンは言う。


「ああ。」


レッドは短く答えた。同時に、レッドの紅い瞳がグリーンを射抜く。グリーンも自身の新緑をレッドに向けた。

互いの瞳に映るのは、己の好敵手の姿。向かい合う二人の間に一陣の風が吹いた。


「ピカ!頼むぞ!」


レッドが出したのは、今やチームの主力といってもいいピカだった。耳に薄っすらと残る傷跡が、かつての事件を思い出させる。二年前よりも傷は浅くなっているとはいえ、未だ完治していないその傷は、ピカの心の傷の深さを物語っている。
しかし、ピカの黒曜石の瞳は、強い決意を宿していた。


「ハッサム!行け!」


対してグリーンが出したのは、幼馴染であるハッサムだった。数々の苦行を共にしてきた、兄弟といっても過言ではないポケモン。グリーンのチームの中で、最も彼と息が合っているだろう。グリーンがこの勝負にどれほど本気か、簡単に理解できた。


「ピカ、こうそくいどう!」


先に動いたのは、レッド。ピカが目にも留まらぬ速さで移動する。元々素早いポケモンだけに、その速さはハッサムでは遠く及ばない。


「ハッサム、きりさくだ!」


それに怯むことなく、グリーンは応戦する。ハッサムの鋭い刃がピカを襲う。
だが、ピカはその刃をひらりとかわした。そして、ピカはトレーナーであるレッドの指示とは関係なく、自らの意思でハッサムに電撃を放った。

―バチィッ!!

「ハッサム!!?」


グリーンは目を見開く。トレーナーの指示なしでポケモンが動くのは、本来懐いていない証拠。だが、レッドのポケモンが、ピカが彼に懐いていないのはありえない。

レッドを見ると、彼はピカの行動を何も言わず見ていた。それは、ピカの行動をレッドが認めているということ。レッドが徐に口を開いた。


「どうした、グリーン?何を驚いてるんだ。」


レッドの口元は笑っていた。


「何も指示するだけが、俺たちの役割じゃないだろう?」


時には、ポケモンが思ったように行動させることも重要なのだ。特に、一瞬の油断が勝敗を決する拮抗した勝負の時には。本能的な反射を生かすことができれば、勝負はより有利になる。

それは、{どんな戦い}にしても同じこと。


「…ふっ、そうだな…。ある種の信頼、か…。以前、師にも言われたことをお前に言われるとは、俺もまだまだだな。」


幼い頃、師シジマの下で修行していた時、彼から言われた言葉。


{指示するだけがトレーナーの役割ではない。バトルにおいて、トレーナーの指示だけが正しいとは限らんのだ。}


己の力を過信した者は自滅する。

いつだったか、レッドに言った言葉。言った自分よりも、レッドの方がそれをよく分かっているようだった。

レッドから言わせれば、そんなことなどないのだが。いかんせん、レッドと同じくらい直情型のグリーンに言ったところで通じないだろう。


「悪いな、ハッサム。まだいけるか?」


グリーンがハッサムに問いかける。ハッサムは彼の問いかけに、立ち上がり、戦闘体制を取ることで返した。

一方レッドは、グリーンの師とデイトを重ねていた。




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