その他
□母の言葉
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荘厳な雰囲気の漂うカルデア宮殿の中庭で、インガは一人読書に勤しんでいた。ドロシーに許可をもらって、ようやく手に取ることができた秘蔵の書物。本来ならばこのような場所で読むものではないのだが、ドロシーに一喝されてしまった。
「こんな暗いところで本を読んで、目が悪くなったりしたらどうするの?」
まるで母親のような言葉を使うドロシーの表情は本当にインガを心配しているものだった。カルデアの最高位であるドロシーにそんな表情をさせているのが自分であると思うと反論もできず、現在の場所で読書するに至っているのだ。
しばらく中庭で読書をしていたインガであったが、ふいに誰かの気配を感じた。嫌な気配ではない。どこか落ち着く、安心するような気配だ。
まさか煩いカイではないだろうと顔を上げて気配のする方へ視線を向けると、そこには思いがけない人物がいた。
温かい光に反射して輝く髪は引きこまれそうな深い蒼。髪の間から僅かに覗く耳には、クロスガードの証であるピアスが揺れている。
こちらの様子に気づいたのか、その人物はゆっくりと顔を向ける。
向けられた双眸は蒼く、目元には逆三角形の不思議な紋様が刻まれていた。
「あ、アルヴィスさん…!」
「久し振りだな。ドロシーに用があったんだが、お前にも会おうかと思って来てみたんだ。」
微笑みながら言う男は先のウォーゲームの英雄、メルのアルヴィスであった。
思いがけない人物の来訪に、インガは読んでいた書物を思わず手から落としてしまう。
「ど、う…して。」
「いや、ただ顔を見たいと思っただけなんだが…迷惑だったか?」
アルヴィスはインガが落とした書物に視線を移し、やや遠慮がちに尋ねた。インガはアルヴィスに誤解を与えていることに気づいたのか、慌てて書物を拾いながら首を振る。
「いえ、全然そんなことないです!」
むしろ会えて嬉しいです、とは心の中で呟いた。インガの様子に安心したのか、アルヴィスは彼の隣に腰を下ろし、微笑みかける。
「そうか。なら良かった。」
ふわり。
花が咲き開くような微笑みがインガに向けられる。アルヴィスの微笑みを真正面に受けたインガはぴしり、と固まった。
ドロシーがこの場にいれば溜息を吐くであろう光景だ。何せ、このアルヴィスという男、自分に敵意を持つ相手の感情には敏感なのに、味方となると途端に疎くなる。特に恋愛感情に関しては。
急に固まったインガにアルヴィスは首を傾げた。今自分は何かしただろうか。何故彼は顔を赤くしているのだろう。
まさか自分の微笑みが原因だとは露ほどにも思わないのがアルヴィスである。そこで彼は見当違いのことを口にした。
「風邪か?いくら温かいとはいえ、気をつけるんだぞ。ちゃんと上着を着て…。」
「…っぷ、…ふふ。」
まるで母親のようなことを言いだしたアルヴィスに思わず噴き出してしまう。先ほどまで感じていた気恥かしさなど飛んでしまっていた。
突然のインガの変化にアルヴィスは目を丸くしていたが、元気ならばいいかと自己完結するのであった。
「ところで、何でさっき急に笑い出したんだ?」
「す、すみません…!ちょっと思いだしてしまって…。」
笑いの波が落ち着き、インガはようやくアルヴィスに向きなおった。そこで不思議そうな眼をする彼に、先ほどのドロシーとのやりとりを説明する。
まるで母親のようなことを言った、ドロシーとアルヴィス。まるで似ていない二人なのに、なぜこんなところがそっくりなのだろうか。
「あぁ、ギンタだな。」
「ギンタというと…英雄の。」
メルヘブンの英雄がなぜ関係してくるのか。なぜ、自分もちょっと身に覚えがあるとか思ってしまっているのか。
微妙な表情をするインガに向かって、懐かしむようにアルヴィスは言った。
「ギンタがな、しょっちゅう森で夕方まで寝てたり、暗い場所で何かやったりしてたから俺たちがいつも注意してたんだよ。」
「……なるほど。」
少々騒がしい友人とそのアームを思い出し、インガは酷く納得してしまった。