その他

□轟く咆哮
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戦で左目を傷つけられたのは、己の油断だった。誰にもやられるはずがない、その過信があったことを政宗は悔しさを感じながらも理解していたのだ。その過信が、好敵手である幸村以外にやられてたまるか、という矜持からきていたことも分かっていた。

ズキリ、とまだ完治していない傷が痛む。医者からは、もう両目が見えることはないと断言されてしまった。己に記憶に残る最後の色が、何の感慨もない土の色だとは、仕方のないこととは言え悲しくなってしまう。

最期の色であるべきは、あの燃えるような真紅でなければいけなかったのに。もうその望みを口にすることすらできなかった。


「何しに来やがった。」


たん、と小気味よい音を響かせて障子が開く。政宗は気配だけで、それが誰なのか分かってしまった。懐かしい、この殺気にも似た気配。それは本来このような場所には相応しくない気配だ。しかし、政宗はそれに一種の心地よさを感じていた。

まだ左目が見えていた頃、唯一、その色を心に刻みつけたいと思っていた相手なのだから、そう感じるのも致し方のないことだったのかもしれない。

政宗の問いかけに訪ね人である幸村は、普段は柔和な表情を険しくさせて政宗の領域に踏み込んだ。


「政宗殿、貴殿の両目が光を無くしたと聞いた。」
「…さすが、甲斐の虎は情報が早いな。もう俺の目は何も映しちゃいねぇよ。」


しゅるしゅる、と政宗は額から瞼を覆っていた包帯を外していく。そして失われた右目と、左瞼の上に走った大きな傷が露わになった。


「Hh、情けねェもんだぜ。竜は小十郎だけになっちまったな。」
「…随分戦に出ていぬようでござるな。」
「出れるわけねぇだろ?お前が無様になった俺が見たいってんなら、考えるけどな。」


政宗の口から、諦めにも似た呟きが零れる。それは、生涯の好敵手として認めた相手の前だからこその態度だった。対等に戦っていた昔と今は違う。それを政宗は自虐的に語った。

政宗の言葉に幸村の表情が歪む。誰だこれはと、頭の中で疑問が溢れた。自分が認めた、追い求めた好敵手はこんなにも不安定な存在だったのか、と自問を繰り返した。しかし、いくら自問を繰り返しても、答えが出てくるはずもなく、気がつけば幸村は政宗に詰め寄っていた。


「記憶ばかりを抱きしめて、今を見失うおつもりか。」


今は幾多の国が天下を取ろうと日々戦いに明け暮れている。その中で、過去に縋り、今を見失うことはすなわち国の崩壊に繋がりかねない。それを幸村は政宗に説いた。


「貴殿が進むことを止めれば、この奥州、いずれ他国の手に落ちよう。右目の竜がいくら戦ったところで、片目を失った竜がいつまで保つか分からぬ。」
「…お前に、何がわかるっ?!」


政宗が閉ざされた瞳を幸村に向けて、小さく叫び声を上げる。それは慟哭にも等しかった。しかし、幸村はそれに眉ひとつ動かさずさらに言葉を続けた。


「見えぬ恐怖、某には分からぬ。だが、貴殿は紛れもなく奥州の竜。…右目の竜は、貴殿がいたからこそ戦ってきたのではござらぬか。」
「っ…!」
「貴殿が戦場に出ず、過去に縋ろうと言うならば、いずれ限界がこよう。限界が来ずとも、竜がおらぬ奥州軍は士気が上がらず、敵軍の士気が上がるのは自明の理。」

(分かっている、そんなこと言われなくとも、)


政宗が拳を握り締めた。血が通わなくなる程に力が込められた手は色を失い、爪で割かれた皮膚からは僅かに血が滲んでいる。それを目の端に留めた幸村は、政宗の心が完全に戦から離れていないのだと悟った。

そして、幸村は政宗に向かい、殺気と温情とが混ざり合った声で告げた。


「竜の息吹を自ら絶つおつもりならば、その前に、虎がその首を噛み切るでござるよ。」


幸村はそれだけ告げると、政宗の部屋から姿を消した。大方、あのいけすかない忍びにでも手伝ってもらったのだろう。そんなどうでもいいことを思いつつ、政宗は先ほど幸村に言われた言葉を頭の中で反芻していた。


(竜の息吹を自ら絶つおつもりならば、)

「…ハ、そんなことできるわけねぇだろ。」


それは家臣も民も、この奥州の地を全て裏切る行為だ。それだけのものを政宗は背負っている。光を失ったからと言って、政宗の存在理由がこの奥州で変わるはずもない。隻眼でも、盲目でも、政宗が奥州筆頭である事実に変わりはないのだ。

そこまで考えて、政宗は幸村の真意に気づく。ああ、彼は自覚をさせに来たのだ。政宗の存在理由を、戦場以外での価値を思い出させた。そして、自身が与える影響を教えに来たのだ。わざわざ、危険を冒してまで。


(期待には答えねェとな。)


そこまで敵軍を気にかけている余裕を後悔させてやろう。政宗は自虐的に歪めていた表情を、好戦的なものへと変えた。それは独眼竜として存在していた政宗と同じ、いやそれ以上の気迫。

幸村が揺り起した竜は、大地に新たな息吹を吐き出して、大きな産声が雷鳴となって轟いた。




(再び、あの戦場で)









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