自室に戻り俺は急いで筆と紙を出す。 伝えたい言葉があるんだ。 墨が染み込んでいき筆を走らせる。 『月が明るく照らす夜、鍛練場にて貴方をお待ちします。 島左近』 あの時貰った文と同じ言葉を並べた。 幸村とは違い、少々乱雑になってしまった文字だが気にしない。 折畳み、直ぐに渡してくるように頼んだ。 そして俺は今夜の為、酒の準備をする。 幸村と離れていた間、一緒に飲めたらいいのに、と思った酒が沢山あるのだ。 どれを手にしていこうか、と心浮かれながら選ぶ。 幸村は来ない、なんて微塵にも思わなかった。 どこか確信めいて、今夜は会えると思いながら、闇夜を待った。 サクサクと足元を鳴らし目的地へと歩く。 手には先程用意した酒と、今まで書き蓄めた抱えきれない程の文の束。 まだ来ていないか、と石段の上へドサリと紙束を下ろし、その横へドカッと座った。 確かあの時も幸村が誘ったのに俺が先に来ていたな、と思い出し笑う。 まぁあの時は時間の指定も無く、適当な時間に行ったというのもある。 今回はただ俺の気が焦って居ても立ってもいられなくなり、早く出てしまっただけなのだが。 空を見上げ、今夜も月が星が良く見える。 こんなに緊張するのは初めてかもしれない、と幸村が来るであろう方向に目を向けた。 まずは何から話そうか、何と声を掛けようか、なんて考えている事になんだか笑えてくる。 すると見ていた先に小さく赤い光が出来、近づいてきた。 徐々に大きくなる光と共に大きくなる鼓動。 本当に柄にもない、など思いながらも緊張で手足の先が冷たくなってきた。 はっきりと夜でも姿が確認できるまでになると、どこかホッとする自分がいる。 なんだかんだで、やはり来てくれるかどうか不安だったのだろう。 幸村に手を軽く振りながら自分自身を笑う。 幸村も小さくだが片手を揚げ振り替えしてくれたのが見えた。 それにまた笑った。 「遅くなりまして申し訳ありません。」 「いや、俺が早くに着いただけさ。」 昔やったように俺の横へ座るようにポンポンと石段を叩く。 ありがとうございます、と幸村は促されるがまま座った。 さて、何から話そうか。 幸村が来る間、考えていたのだがいざとなると出てこなかった。 困ったな、と空を見上げながら頭の中を模索する。 すると横からふふっと小さな笑い声が聞こえてきた。 「よく覚えておいででしたね。」 なんのことだ、と言おうとする前に幸村の手に俺が今日書いた文が見えた。 忘れるわけないだろ、と言えば、そうですね、と笑う。 幸村も覚えていたことに少しだけ嬉しかった。 そして横に置いていた紙の束を渡す。 受け取りながら不思議そうにしている幸村に良いから読めと言わんばかりに、一番上にあった文を開け手に持たせた。 ありがとうございます、と幸村は何故か礼を言い目を文へ落とす。 夜だから文字なんか見えないかもしれない。 でも月明かりのお陰で見えるかもしれない。 静かに一つ一つ読んでいく幸村の隣でこそばゆく、恥ずかしくなりながらもそれが終わるのを待った。 それは俺にとっては長く、苦しく、愛しい時間を詰め合せたもの。 幸村に少しでも伝わればいい、俺はそんなことを願いながらその時が来るのを待っていた。 最後の、つまり昨日書いた文をカサカサと元あったように折畳み、全ての文と一緒にした。 そして幸村は大きく息を吸い込み空を見る。 俺も気付かれないように大きく深呼吸をし、空へと顔を上げた。 「後悔、ばかりしていた。」 静寂が広がる闇の中、俺の声が自棄に大きく聞こえた。 そう、後悔ばかりの日々だった。 思い出しては悔やむ毎日を過ごしていた。 幸村と向き合っていれば、幸村を探していれば、こんな痛い思いはしなくて良かったのだろう。 胸を締め付け、俺に罪を与える。 「だけど今日、お前と再び会えて変わった。」 今まではその痛みが辛かった。 解放されたい、と思ったこともある。 だが解放されるどころか、日に日に体の至る所に深く根付いていった。 でも今日、幸村と会えてその痛みに対する考え方が変わったのだ。 「愛しく、思えるようになったんだ。」 膝の上で手を組み合わせ、少し前屈みの姿勢でになる。 俺はその手の先を見ていたが幸村は俺を見ている、それくらい顔を動かさなくてもわかった。 もう一度、今度は小さな声で愛しいんだと呟く。 そして軽く頭を振り、話を続けた。 「この文字にしてあるのは本心だ。」 届くはずの無かった、今はあるべき場所、幸村の手にある文を指した。 幸村から小さくはい、と返事が聞こえてくる。 ちゃんと自分の気持ちが届いたのだと安心をし、良かったと思った。 「お前を想い考えていた時間は、お前を忘れない為だと思っていた。」 それが自分への罪であり罰であると自分に言い聞かせていた。 今思えば文を書いていたのもそれ等に耐え切れなくなったからかもしれない。 「ホント、笑えてくる。」 なんて馬鹿げた考えを持っていたんだ、とはっと笑い握っている手に力が籠もった。 少し震えていたのかもしれない。 泣きそうな声を出していたのかもしれない。 俺の拳に横から暖かい手が重ねられた。 瞬間、顔を幸村に向けると大丈夫だから、と言っているかのような穏やかな顔をしている。 俺は本当に泣きそうになり、交互になるように幸村の手の上に自分の片手を重ねた。 そして大きく息を吸い込み祈るかのような気持ちで言葉を吐く。 「お前が、幸村が好きなんだ。」 だから辛いと思っていたお前を想う時間も今は堪らなく愛しい。 きっとどこかで幸村に対する感情が曖昧になっていたのだ。 再開を果たし、幸村を目の前にした瞬間、体全体が騒ぎだした。 カチカチ、と止まっていた時が再び動きだした。 奥底から湧き出る幸村への想い。 「俺はずっと堪らなく幸村が好きなんだ。」 スッと俺の頬に涙が流れ落ちた。 言えなかった言葉、伝えたかった言葉。 ずっと胸の奥で育ててきた想い。 一度口にすると止まることを知らない。 幸村の手を引き寄せ、体を抱き締める。 苦しいかもしれないが、確かめたくて、その温もりを感じ取りたくて力強く抱き締めた。 「好きだ。どうしていいかわからないくらいお前が好きだ。」 嗚咽混じりの告白。 腕にはますます込められる力。 幸村の頭に擦り寄せるかのように自分の顔を寄せた。 突如、俺の背中に感じられる温もり。 あぁ、幸村の腕だ。 幸村も俺に力を出来るだけ込め抱き締めてくれる。 私はここにいます、そう俺の耳に届いた。 「お前が、幸村が生きていてくれて良かった。」 幸村の顔が何度も上下に動く。 はい、はい、と幸村も泣いているのかもしれない。 顔は見えないが声が、頷く声が擦れていた。 ゆっくりと込められた互いの腕が解かれ、だが体は離れないまま顔が確認できるくらいに離れた。 目と目が合い、どちらからかはわからないが近づく二つの顔。 唇に感じる互いの体温。 「私も左近殿が好きです。」 重なるだけのそれの後、告げられた幸村の想い。 俺の首に回された幸村の腕。 耳に囁かれる幸村の声。 「貴方が生きていてくれて、本当に良かった。」 幸村の背と頭に腕を回した。 会いたかった、と再び涙を流す愛しくて堪らない幸村に、俺もだ、と一緒に泣いた。 同じ気持ちだったのだ、と初めて気付く。 もう離さない、離してやれない。 カタン、と俺の後ろで何かが倒れる音がした。 そういえば酒をまだ呑んでいない、と思い出す。 幸村もそれが見えたのか、泣いていた声に少し笑った声が混ざった。 再び顔だけ離れ目を合わせる。 まだ残っている涙に口を這わせ舐め取った。 くすぐったかったのか、幸村は身動ぐ。 するとその背後からさっきと同じようにカタン、と音が鳴った。 二人で見れば幸村が持ってきた酒が倒れていた。 顔を見合わせ笑い合う。 「後で呑むか。」 「はい、時間もお酒もまだたくさんありますから。」 額と額がぶつかる。 幸村の瞳一杯に俺の顔が映っていた。 きっと俺の目にはお前で一杯なのだろう。 鼻を擦り合わせ、再び口付けをする。 何度も、何度も。 今までの時を取り返すかのように、何度も唇を合わせた。 お前も、俺もここにいる。 互いがお互いを確かめ合いながら、その存在を抱き締めた。 空には月と満点の星。 その中の一つが光の帯を作ったのを、俺達は知る由もなかった。 |