俺が武田に来てから幾月が過ぎた。 そんなある日、俺に一つの文が届く。 誰からだ、とかさかさと開くと短く綺麗な字で書いてある招待状。 『月が明るく照らす夜、鍛練場にて貴方をお待ちします。 真田幸村』 真田幸村という文字を見て俺は目を疑った。 頭の中には何故という疑問が並ぶ。 俺と幸村は会話はあるものの特に親しくしているわけでもない。 かといって怒らすようなことや感謝されるようなことをした記憶もない。 だが疑問と同時にあの幸村が俺にどんな用事があるのだろうと興味を抱いた。 まぁ、あいつのことだ。 変な事ではないだろう、と俺はちゃんと夜に起きておけるかどうかの心配をしていた。 |
日付、時間の指定などなくただ場所しか明記されていない招待状を片手に俺は鍛練場の前にいた。 門は閉ざされていて、その前にある石段の上に座って文の差出人を待つ。 辺りに人なんているはずもなく、一人空を見上げながら待った。 暫らくするとかさりという音が聞こえ、その音の方へと顔を向けると赤い光と共に近づいてくる人影。 ずっとその方向を向きはっきりとわかる人影に小さな安堵をした。 「このような夜更けにお呼びして申し訳ございません。」 闇に似合わない明るい声で俺に詫びるその姿は文の差出人で、相手も俺がいたことに安心したのか安堵の色を浮かべていた。 目の前に立ち、頭を下げる。 俺は気にするな、とぱしぱしと石段を叩き横に座るよう誘導した。 「文には日付など書いてなかったから、今夜、幸村が来てくれて良かった。」 無駄足にならなくて済んだ、と言えばゆっくりと腰を降ろしている幸村は驚いた顔をしている。 その顔を見て俺はピンっときた。 多分というか忘れたのだろう、日付や時間を書くのを。 直ぐ様、幸村も忘れてましたと謝りの言葉を吐く。 この時、俺は初めて幸村はこういう人間なのだと認識をし、笑った。 声に出しながら笑い、横にいる幸村は恥ずかしさからなのか俯きながら、申し訳ございません、と未だに謝っている。 その姿に益々笑いそうになるのを堪えた。 「誰にでも失敗の一つや二つはあるから気にするなよ。」 ぽんぽんと慰めのつもりで頭を軽く叩いてやる。 ありがとうございます、と幸村は小さく礼を言った。 「そういえば何で俺を呼び出したりしたんです?」 「星を、一緒に見ようかと思いまして。」 星と言われ空に再び顔を向けた。 点々と鏤められている星達は月を中心に光っている。 一体この星になにがあるのだろうか、と俺は思いながら目の前に差し出された杯に気付く。 並々に注がれた酒にその星達が映されていた。 「実は先日、偶然にも流れ星を見たのです。」 「ほぅ、すごいな。」 「はい。もしかしたらまた見れるかもしれない、と考えたら。」 左近殿と一緒に見たいと思いました、と幸村も手に杯を持ちその中にある星を見つめた。 何故だ、と問えばはにかみながら、思い出になるかと思いました、と笑う。 「左近殿はじきこの武田を去ります。少しでも良い思い出があればと思いました。」 カチン、と二つの杯を合わせ幸村は酒に口を付ける。 俺も連れ酒を飲んだ。 ゆらゆらと酒の中の星が揺れる。 隣ではくすくすと幸村が笑っていた。 「どうした?」 「いえ、もしかしたら一緒に酒を飲みたかっただけかもしれない、と考えておりました。」 そういえば宴やらで酒を酌み交わしたことはあるが、二人だけというのは初めてだ。 くいっ、と一気に酒を飲めば直ぐに横から注いでくれる。 幸村も酒を飲み干し、次は俺が注いだ。 「間違いなく、今夜は良い思い出になりますよ。」 「そう言っていただけ、お誘いした甲斐がありました。」 「後は、流れ星があれば最高だな。」 「えぇ、そうですね。」 カチン、と再び杯を交わし小さな宴を始めた。 様々な話に華を咲かせ、時が経つのを忘れる。 俺の話を幸村は興味津々に耳を傾け、時には質問をされ逆に問うてみたり。 一つ一つの言動が俺には新鮮に見え、その度に俺の中の幸村という人物は塗り替えられていった。 そして次第に闇は深まり、連られ酒もなくなる。 最後の一滴まで注ぎ、二人で足りないと洩らしては笑い合った。 「また一緒に酒を飲まないか?」 「はい、是非お供します!」 お開きだ、という意味で俺は立ち上がり、幸村は酔いを覚ましてから自室へ戻るらしくまだ座っていた。 幸村の顔が月明かりに照らされ闇でもはっきりと見える。 ほんのりと顔を染めていた。 そこで初めて幸村を正面から見た、ということに気付く。 改めてマジマジと覗き、まだあどけなさの残る顔に何故か妙な感情を抱いた。 そして今日は初めて尽くしだと小さく笑う。 不思議そうに俺を見ている幸村の顔が自然と大きくなっていく。 俺の唇に幸村のそれが重なる。 触れただけの口付けだが、無意識に近い行動に俺自身が驚いた。 既に離れている顔。 俺の動揺は隠せない。 「あ、いや、その‥‥‥なんだ。」 しどろもどろになりながら何かを言おうとするのだが、巧く言葉が出てこない。 結局どうしていいかわからなくなった俺は、それじゃ、と逃げるように立ち去った。 幸村は何か言いたそうにしていたが、そんな余裕すら持ち合わせていなかった俺は振り返る事無く歩いた。 自室へ戻りながらさっきの自分の行動を思い出す。 もしかしたら夢だったりしないだろうか、と考えた。 だが確かに残っている僅かな感触に、夢ではないのだと思い知らされる。 なら酒の勢いでしたのか、と思ったが今日くらいの量で酔ったりする程、俺は弱くない。 微酔いではあったかもしれないが、既にそれすら醒めてしまった。 「ほんと、何やってんだか。」 暗闇の中、一人呟いた。 謝らなければ、と醒めた思考回路で考える。 夜が明ければ嫌でも幸村とは顔を会わすだろう。 どこか機会をみて話が出来れば、と思いつつこうも考えた。 幸村が俺を避けたら、と。そうしたら話なんて出来やしないな、と自分でその光景を思い浮べながらどこか強い衝撃を受けたような感情になる。 まさか俺は幸村に‥‥‥惚れたのか? それなら今までの行動にも辻褄が合う。 だが一時の気の迷いかもしれないし、そうでないかもしれない。 兎に角、全ては幸村に会ってからにしよう。 そこまで結論付け、足早に俺は月明かりに照らされながら帰って行った。 結局、流れ星は見ることが出来なかった。 夜が明け、幸村と当たり前に顔を会わした。 だが俺の思い描いていた状態にはならなかった。 幸村は俺を避けることはしなかった。 普段通り、今まで通りに俺と会話をする。 なら昨日の事は無しにするつもりだろう、そう思ったのだがそれも違った。 笑いながら、昨日は楽しい時間をありがとうございました、と向こうから話題に出す。 周りには武田の各将がいるわけで、この俺達の話を聞こえてない筈がなく。 何があったのだ、と幸村や俺に聞いてきた。 幸村は楽しそうに酒を酌み交わした事を告げる。 俺も話に交ざりながら、幸村を見てこう思った。 無かったことにしたのは昨晩の事ではなく、最後の俺の行動だけなのだろう。 そう自分の中で答えを出し、再び強い衝撃を受けた。 昨日、俺が悩んだ事はなんだったのだろうか、と。 一人舞い上がり、空回りをし、悩み、考えた事は全て無駄だったのだ。 自分の勝手な行動に幸村がどうしようが、俺に口出しする理由などない。 だが、少しは反応があっても良かったのでは、と幸村を見ながら思った。 俺の名を誰かが呼ぶ中、俺は居た堪れなくなりこの場から立ち去ろうと動く。 遠くなる幸村の話し声に苛立ちながら、俺自身の新たな感情に確信を抱く。 俺は幸村が好きなのだ。 今更かもしれないが、明確に気付かされた想いに目頭がかぁっと熱くなる。 この想いをこれからどうしようか、と考えながら小さな溜息を吐き出した。 俺が武田から去ったのは、それから直ぐの出来事だった。 |