幸村が回廊を歩いているとちょうど先の曲がったあたりから人の話し声が聞こえた。 声からするに男女の話し声。 しかも男の方は聞き覚えのある声で直ぐ様その持ち主が思い当たった。 それにしてもどうしたものか。 幸村はこの先に用事があり、かといって話の邪魔をしてしまうかもしれないと立ち止まる。 回避出来る方法はないかと考えたが思いつかず、仕方がないと速やかに通り過ぎることにした。 再び歩きだし視界の中に二人の人影が見えてくる。 (あぁ、やはり左近殿でしたか。) 幸村は男の姿が想像していた人物だったので少し嬉しくなった。 だが再び幸村の歩みは止まる。 目の前にいる二人が抱き合っていたからだ。 しかも女の方は泣いており、幸村は非常に居心地が悪くなる。 とにかく用事はまたにしてこの場を離れようと踵を帰そうとした時、左近と目が合った。 あっ、と幸村は声を洩らしてしまい女もその声で幸村の方を向いた。 やばい、と思っても後の祭りで、二人の視線を浴び、居たたまれなくなった幸村は走ってその場を後にするのだった。 |
あれから幸村は自室へと帰っていた。 見てはいけないものを見てしまった、と反省しているところだ。 頭の中に先程の光景を思い出す。 あの様子からいくと二人は恋仲だったのかもしれない。 少なからず女人は左近に好意を抱いていただろう。 左近を見つめる目付きから感じ取れた。 本当に不粋なことをした、と幸村は頭を抱えながらふと自分の中の違和感を覚える。 何故かわからないが落ち着かないのだ。 抱擁をしている所や女の肩に置かれていた手を思い出したりすると非常にいらいらした。 悩んでいても仕方がないと、今度左近に会ったら謝罪をしようと幸村は腰を上げ用事を済ませようと部屋から出ようとした。 襖に手を掛け思いっきり開ける。 すると目の前には驚いた顔をしたさっきから幸村の頭を支配していた人物、左近が立っていた。 「いきなり戸が開いたらびっくりするだろ、幸村。」 「さ、左近殿!」 「やはりこちらにおいでだったみたいですね。やっと見つけましたよ。」 いきなりの左近の登場に幸村も驚いた。 会ったら謝罪しようとしていたがこんなにも早く会うとは思わなかったからだ。 「これからどこか出かけるのか?」 固まったままどうすればいいのかわからない幸村に左近は問い掛けた。 その声にはっと正気に戻った幸村は肯定の言葉を返す。 「先程、邪魔をしてしまった用事だろ。」 「えっ、あの‥‥‥。」 その通りなのだがさすがにはっきりとは言えない。 何と言えばいいだろうとしどろもどろになってしまった。 そんな幸村に左近は声を挙げ笑った。 「何がそのようにおかしいのですか?」 「いや〜、悪い悪い。」 全然悪いと思ってないな、と今だに笑っている左近を見て幸村は何だか恥ずかしくなりむかついた。 ふいっと顔を背けるとやっと笑いが止まったが、それでもまだ後遺症があるらしく喉をくつくつと鳴らしていた。 「あ〜笑った、笑った。」 「あれだけ笑えばさぞ満足でしょう。」 「まあ、怒るなよ。それより立ち話もなんだしそろそろ部屋へ招待してくれてもいいのでは?」 にやり、という言葉がこれほど似合う顔もないだろう。 その顔に苛立ちを覚えながら、かといって断る理由もなく、部屋へ入るように促す。 どうも、と左近は襖の前に立っている幸村に一礼してから入った。 幸村はそれを確認し襖をぴしゃりと業と音が出るように閉めたのだった。 「それで左近殿は私にどのような用事がおありで?」 とげとげしい物言いの幸村に左近は不適な笑みを浮かべた。 「幸村の方こそ俺に聞きたいことがあるんじゃないですか?」 「なっ!私は別に、何も。」 「本当に?」 その言葉に幸村は何も言えなかった。 左近殿にはわかっているのかもしれない、と幸村は顔を伏せる。 左近の目が何もかも見透かしているようで幸村は正直恐くなった。 本当は先程の女性が誰なのか、本当に恋仲なのかそうでないのか。 聞きたくて幸村は仕方なかった。 聞いた所でどうするわけもないのだが、聞かないと堪らなく胸が騒ついて落ち着かなくなる。 いらつき、気分が優れないのだ。 だがやはり幸村は考えた末、自分の方からは聞かないことにした。 このことは野暮なことで幸村には関係のないことだ。 聞いて教えてくれるともわからない。 それにこのことが原因で八つ当りにも近い態度を取っているのが知れたら。 それこそ幸村は恐くなった。 左近の視線が痛いほど刺さる。 逃げ出してしまいたい、膝の上の握り拳に力を入れた。 「幸村?」 「申し訳ございません、左近殿。」 何の反応を示さない幸村を呼んでみた。 だがそれを合図にすっと幸村は腰をあげる。 そして左近の横を通り過ぎ再び襖の前へと歩みを進めた。 「私はこれからやらなければならないことがあります故、今日のところはお引き取り願います。」 左近には背を向けたまま襖を開けようとしたとき、突然に後ろから抱き締められた。 腕毎抱き締められているため幸村は身動きが取れない。 なんとか解こうと体を動かしてみるものの、その度に左近の腕に力が込められた。 「離してください。」 「嫌だね。」 「なぜこのような事をっ!」 「あなたが勘違いをしているからでしょう。」 意味がわからない、幸村はそう思った。 勘違いをしているのは左近殿の方でこういうことはあの女人とすればいい、こう叫びそうになるのを必死に堪えた。 離してほしくて足掻くけど無駄に終わっていく。 もうどうすればいいのだ、と体の力を抜いた時くるりと幸村の視界が見慣れた部屋へと変わる。 気付けば頭にやんわりと左近の手が添えられ体と体が密着するような形で抱き抱えられていた。 「少しは期待をしながら来たのだが‥‥‥強ち外れてないな。」 また笑っている、と幸村はもどかしくなり突き放そうと左近を見上げた時動きが止まった。 どうせ小馬鹿にしたような顔をしているに違いないと思っていたのだが、それは幸村が思っていただけのこと。 実際には何とも嬉しそうなこう答えたら怒られそうだが子供みたいな顔で笑っていたのだ。 「あの女人とは幸村が思っているような関係ではありませんよ。」 「っ!しかし、あの、だ、抱き合って‥‥‥。」 「想いを告げられ泣きつかれ、ああいう形になっただけで特別なことは何もない、信じろよ。」 信じろ、という言葉で一気に幸村の顔は赤く染まった。 左近の目が凄く優しく感じる。 照れと自分がどうにかなってしまいそうで耐えきれなくなり、幸村はふいっと横を向いた。 たが直ぐにそのことを後悔する。 耳に左近の息が届くくらい近づいたからだ。 「俺が自分からこういうことをしたいのは一人だけだ。」 そのまま耳に口付けられ頬にも一回。 顔を正面に向けられたかと思うとゆっくりと幸村の口に落ちてきた。 軽いのから深く激しいのまで何回も口付けが降る。 やっと解放されたかと思えば今にも溶けてしまいそうな顔が幸村の視野全体に広がった。 「俺の気持ち気付いてくれましたかな?」 ここまでしておいてさすがの幸村も薄々だが気付く。 薄々なのは左近の口からはっきりとしたのを聞いてないからだ。 さて、どうしたものかと幸村は悩む。 ここで素直に答えるのも癪だ、と幸村は悩んだ。 「私は左近殿の気持ちなど‥‥‥わかりません。」 「なら、わからせるまでだ。」 再び不適な笑みを浮かべた左近は真っ赤な顔で睨んでいる幸村に口付けを贈った。 その後幸村は、あの不機嫌になったりしたわけが嫉妬だったのだということを後から知ることになる。 |