乙女

□七夕
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あの戦いから幾月が経とうとしていた。
つまりは私の前から風早がいなくなってから幾月。
今はどうしているのか、生きているのかさえわからない。
会いたいと願っても会いに行くことすら叶わない。
空を見上げ、数億とも言われる星々の瞬きを眺め、そういえばと思い出した。
もうすぐ七夕だ。
そしてまた思い出す。
風早との…忘れられない思い出を。



























我儘を言って今は出雲郷にいる。
郷の中は皆が楽しそうに歌い、踊り、食物を食べたり騒いでいた。
あの時と変わりなく皆が笑っているのが嬉しかった。
一緒に付いてきてくれた(護衛で)足往は郷に入って別れた。
また私が我儘を言ったのだ。
最初は頑なに私の意見を聞いてくれなかった足往も最後は渋々承諾してくれた。
といっても話がまとまったと同時に駆け出して行ってたから、本当は足往もお祭りが見たかったんだと思う。
その時の姿を思い出し小さい笑いが込み上げてくる。
段々と遠ざかる祭りの音を耳にしながら、私は今日ここに来た目的の場所へと歩いた。





郷とは打って変わって静寂が広がる森の中。
ざわざわと木々が揺れ、バサバサと鳥がはばたく音。
近くには泉があり、水の流れる音も聞こえる。
森の生きる音に囲まれながら思い出す。


「…あの時と変わらないな」


天鳥船に乗って降り立った出雲の地。
そこで岩戸へと道を開くためのお祭りに参加した。
その時もこの場所へ来た。
あの時はお酒に酔った風早が心配になり後を追ったのだけど。
あの頃はいつも隣には風早がいてくれた。
辛い戦いの中でも風早はいつも私の隣にいてくれた。
それが当たり前で、それが普通で。
変わらず、ずっと側にいてくれるものだと思っていた。
だけど今はいない。
当たり前だったそれは崩れたのだ。
逆に風早がいない、ということが今では当たり前になってきている。
そんなの…私は嫌だ。
風早は私の隣にいないといけないのだ。
ううん、違う。
私が風早の隣にいたいんだ。
風早に会いたい。
即位の日を最後に姿を消した風早。
あの日から忙しく毎日を過ごしたけれど一日たりと忘れた日はなかった。
今でも会いたいと願う。
だからここに来た。
空に瞬く星々の中の一際光り輝く二つの星。
暗闇に出来た煌めく大河を渡り、今日一日だけ許された恋人同士の逢瀬。
そんな日だからこそこの場所へ来た。
会えるなんて確証などなく、ただ会えるかもしれないと。
泉の側に立ち、水面を眺めた。
風にゆれて波紋を起こす。
その波が私にまで届いたのか、心にまで響いて体全体を揺さ振られる感覚になる。
そしてじんわりと目から涙が零れてきた。
あ、と思ったらもう遅く。
一つ、二つと雫は頬を伝って落ちていった。
ぽたりぽたり、次第にそれは速度を早め同時に私からは声が漏れていく。
今まで溜りに溜まった想いが零れ落ちていく。
会いたい、と泣きながら木々の隙間から見え隠れする月を仰いだ。





泣くだけ泣いて、心の内を吐き出して、今は幾分か落ち着いた。
木の幹にある人一人が座れそうな石を見つけそこに腰を下ろした。
風が横切る中、再び空へと顔を向ける。
織姫と彦星は無事に会うことが出来ただろうか。
そうだといい、と思いつつ羨ましい気持ちで一杯だった。
ガサガサと私が来た方向から音がする。
誰か来たのだろうか、足往が迎えに来たのかもしれない。
そんな事を思いながら目を向けると想像とは違う人影が飛び込んできた。
そして私はその人影を見て、心臓が止まるかと思った。
うそ、と小さく声に出て目は見開き手が震えてくる。
そんなはずはない、と思いながらも近づいてくる人影がはっきりしてくるに連れ目からは再び涙が溢れ出た。


「こんなに泣くと真っ赤になって腫れてしまいますよ」


目の前に立った人物から手が延び、頬をつたり落ちる涙を指で掬われた。
信じられない気持ちが一杯で、風早、と震える声で名前を呼んでみる。
なんですか、と優しいけれど泣きだしそうな顔で、会いたいと願っていた人が立っていた。


「なんで、ここに?」
「それは千尋と同じ理由だと思いますよ」


顔をよく見せて、と両手で顔を挟まれ軽く上を向かされる。
自分の物とは比べものにならないくらい大きな親指の腹で、まだ流れている涙を拭われた。


「髪、伸びましたね」
「風早は少しやつれた?」
「そうかな?」


自分では気付かないな、って笑う変わらない顔に、あぁ本当に風早なんだ、と嬉しくなる。
つられて笑うと風早も、千尋は変わりませんね、と笑顔を濃くした。


「ねぇ、風早」
「なんです?」
「会いたかったよ」


まだ私の顔にある腕に手で触れる。
はにかみながらも、俺もです、と風早も言ってくれた。
嬉しくて、でも恥ずかしくて照れてしまう。
そんな私を風早は優しい目で見つめていた。





風早、と名を呼べば蒼い髪が揺らぎ茶色の瞳が私に、なんですか、と問いかける。


「これからは前みたいに一緒にいられるんでしょ?」


今までどこにいたとか、どんなことをしていたとか、聞きたいことは沢山あった。
けれど一番重要なのはこれからの事。
いられるんだよね、と意味合いを込めて風早の目を見つめると、その瞳は揺らいだ。
そして静かにそれは伏せられ、ゆっくりと首が横へ動いた。


「俺の体にはまだ黒龍の穢れが残ってる」
「風早…」
「ここに、来なければよかったかもしれない」


別れが辛すぎる、と私の髪を撫でながら呟いた。
そんなこと言わないで、私は会えて嬉しかったよ、と言おうとするけど中々言葉に出てこない。
それどころか再び視界がぼやけだす。
そんな私に小さく溜め息を吐いて、泣かないでください、と目尻に溜まってる涙を取り除いてくれた。


「別れは辛いけど、こうして顔を近くで見れて一安心しました」
「私も、風早のことずっと考えてたから…会えて嬉しいよ」
「その言葉だけで十分です」


はにかんで、そして私からスッと風早は一歩下がった。
離れないで、と言いたかったけど、今の風早の顔をみたらとても言えなかった。
苦しそうで、辛そうで。
私以上に離れ離れにならなければならないことに酷く心を痛めてるようだった。
手を祈るような形に組み力を込める。
行かないで、側にいて、と強く念じながらも、それを口に出来ないで歯痒くてもどかしい。
千尋、と頭の上から名前を呼ばれた。
顔を上げ風早を見る。
傷ついた表情をしてると思っていたけど…その顔は笑っていた。


「約束をしましょう」
「約束って?」
「俺は千尋の許し無く死なない」


だからまた会いましょう、と大きな手が頬を撫でる。


「側にいることは出来ないけど、来年、またこの日この場所に来ます」


だから笑ってください、と滲んでいる風早が言った。
約束という意味を込めて小指が目の前に差し出される。
私はそれに自分の指をキツく絡めた。
反対の空いている手で涙を拭う。
そして風早の望みどおり笑えたかわからないけど、自分に出来る精一杯の笑顔を作った。


「私、来年も待ってるね」
「俺も一年後の今日を心待ちにしています」
「絶対に来るから、風早も…」
「俺が約束を破ったことありますか?」


二人で笑い合いながら刻々と迫る別れの時間を待つ。
絡めた指はキツく結ばれ、離さないままでいた。





来年も星の恋人たちみたいにまた会おう。
そう去り際に風早は私に告げて、また私の知らない見知らぬ土地へと旅立って行った。
一人取り残された私は空へ祈りを捧げる。
風早とまたこうして会えますように…風早が元気で毎日を過ごしますように…と。





郷へ繋がる道を歩く私の背中では、二つの光る星が一際強く輝いていた。




















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