12/06の日記

00:31
とうとうラストライブまで一週間切りました。
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きのう千葉のゴッサム団長からメール来て、
むこうもラストライブだったみたいでした。
俺チアキ。
無期限の活動休止ということです。
団長と俺が知り合ったのはたぶん四年くらい前、横浜での対バンがきっかけでした。
とてもメロディーがいい独特のサイコビリーバンドで俺と団長は歳も一緒で、
お互い人柄もよく!
とっとと意気投合しました。
お互いSTARLITE WRANGLERSが大好きだって話で盛り上がって。

それからは名古屋に呼んだり千葉に呼んでもらったり、あっちこっちで対バンし、もっと近くにこんなバンドいたらいいのにと思いましたね。
そんな彼らも土曜日にとりあえずの終止符を打ちました。
俺たちもこの編成というかこの状態でのバンドは今度の土曜で一旦おしまいです。
ワンステージの限られた短い時間の中で
なるべく多くの俺たちの歴史を見せるつもりです。
当日、シックスドッグで待ってます。
これを機にそれっきり一生会わないかもしれないし
一緒に遊ばない?

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00:23
親方
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俺チアキ。
おれが十代後半の頃、
パン工場のバイトと並行して昼間大工見習いのバイトをしてたって話は以前書きましたね。
見習いというか、
そもそも大工になる気もない俺でしたが、
人手がいる時だけ声かけるから
週に何回か手伝ってくれ、
という話に中卒暇人な俺は乗っかりました。
この社長は小、中学校の同級生(当時高校生男子)の親父さんで、
そういうつてで話が来たわけでした。
大工とはいえ何でも屋で、
塗装、解体、バリアフリーのリフォーム、
業務用空気清浄機の取り付け、メンテナンス、
およそ建物に関することはやってました。
非常に穏やかな人で、ド素人で
ミスも多い、寝坊も多い俺にも一回も怒ったことがありませんでした。
昼ご飯はいつもおごってくれました。
一人親方に近かったんで、常には従業員は雇っておらず、現場によって仲のいい職人さんに頼んだりして
多くても4人くらいで仕事をしてました。
ほとんどは俺と二人か、奥さん加えて3人でした。


今日知ったんですが、十月に亡くなってました。
理由は知りません。
まだ五十代のはずです。
社長と行ったいろんな現場を思い出しました。
この家の玄関やったとか、
あの回転寿司行ったとか、
あの家の間取りはこうだったとか、
その家で休憩の時ちんすこう出してもらったとかね。

あれからまだ十数年しか経ってないし、
こんなに早くに今生の別れが来るとは思ってなかったんでやっぱりショックですね。
家近所だし会おうとすればいつでも会えると思ってましたが、
誰かが亡くなるって時は得てしてこんな風だと思うんで、
当たり前のように生きてる気がしてる周りの人を
大事にしないといけませんね。


お礼も言えやしねえ。

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