第二楽章【春の歌】


静かに流れる行進曲。
小さな街の片隅にある小さな舞台。
それを中心に人々が集まって輪を作っていた。
老若男女、家族連れや恋人同士などでその舞台に立つ黒装束の一人の青年に目を奪われていた。
「いつ聞いてもいい演奏だなあ!」
「さすがはパンドラさんの息子だ!」
わあっと一斉に拍手や歓喜の声が湧き上がる。
それを受けている青年は、左手にバイオリンを持ち、右手を腹に持っていくと深々とおじぎをした。
そしてゆっくりと顔を上げると、静かに唇を開いた。
「次はどんな曲が聞きたいですか?」


時刻は午後5時を回ろうとしている。
パンドラ宅でお茶をすすっていたライエルはついにしびれを切らした。
「遅いっ!何やってるんだハーちゃんはっっ!」
「ほんと遅いわねえー」
もう何杯目だろうかお茶をずるずるとすすり、パンドラとライエルはせわしく時計を見つめていた。
「もう夕飯できてしまったぞ・・」
台所から姿を現したサイザーは両手で巨大な鍋釜を持ち、ぽつりとつぶやいた。
「いつもなら4時前には家に帰ってきてるのに・・まだ演奏してるのかな?」
「はっ・・!ま、まさか・・」
突然パンドラはふらりと立ち上がった。
「ど、どうしたんだ母さん・・」
「あ、あの子・・あんな性格だけど顔は私に似て美しくて整っていてあの流し目でその辺の女なんてイチコロなもんだから・・!」
ぶるぶる・・
パンドラの両手が震える。
「ホモの兄ちゃんに目ェつけられて今頃どこかでよろしくやっているんじゃああー!!」
ずるっ!
ライエルはいきおいよくズッコケた。
「か、母さん落ち着いて!」
「あああっ!かわいそうなハーメルううっ!」
『こ、この人のこの想像力はなんなんだああっ!』
ライエルは心の中で叫んだ。



「なんか今日は機嫌いいじゃねえか!ハーメル!」
観客の一人がバイオリンを構え直した青年に声をかけた。
「そーか?」
少し意地悪そうに青年は笑った。
ハーちゃんことハーメル、その人であった。
「いつもはもっと早く切り上げんのにさ!」
「こんなにリクエストさせてくれるしよ!」
無垢な笑顔で観客達は口々に言った。
『そりゃいっぱいやった方が金は貯まるからな・・』
にやっとハーメルは黒い笑みを浮かべた。

すると小さな男の子が母親の腕の中で元気よく言った。
「じゃあお兄ちゃんの一番好きな曲を弾いてよ!」
オレの一番好きな曲・・?
「ああ、いいだろう」
ハーメルはニコっと微笑むと、弓をそっと弦にあてた。
すっ・・・
♪ちゃーらーらららあーちゃーらーらららあー
「「!?」」
こ、この曲はっ・・!
「ふはははは!聞いただけで死にたくなる、ドナドナじゃああ〜っ!」
「ぐわあああやめろおお!!」
「ううっ・・ごめんなさいごめんなさいっ!」
「もう死ぬしかないわああ!」
どろどろと流れるドナドナを聞いた観客達は皆、頭を抱えて苦しみだした。
ある者は首を吊ろうとし、ある者は光るナイフを手首に当てようとした。
「う、うわああっ!逃げろおおー!」
「あっコラ待て!金払ってけええ!」
ダダダーッ
あっという間にハーメルの周りにいた人々はピシャッと家の中に逃げ込んでしまった。
「チッ!せっかく人がサービスしてやったってのによお!」
小さな舞台をひらりと降り、予め用意しておいた料金入れ代わりの黒いつばつきの帽子の中を覗いた。
「ま、いつもよりは多いか」
大量のコインや札を袋に入れ替え、帽子を頭に被った。
沈みかけた夕日を背に、ハーメルは家路を歩き始めた。



はあ・・はあ・・・っ
苦しい。
たくさん走ったせいかもしれない。でも・・それよりも・・・
“王女のことが・・”
「―――っ!」
かあっと頬が熱くなる。
『クラーリィさん・・・』
私・・どうして今まで気付かなかったんだろう。

日が暮れ始めた森の中。
フルートはそこにいた。
『どうしよう・・もう戻れないよ・・』
もう・・スフォルツェンドには・・・

そう・・フルートは国を飛び出してしまったのだった。


「ああ・・もうここは何処・・?」
ふらふらした足取りで森の中を彷徨う。
春を迎えたとはいえ、まだ日は短い。
もうとっぷりと日が暮れてしまっていた。
『・・なんだかこの森怖い・・。やだなあ・・』
ざわざわと木々が揺れる。
その度フルートはびくっと体を強張らせた。
王国のドレスは脱いできた。
そんなもの着て街にでも出たらすぐ国に通報されてしまう。
姫を見つけた ・・と。

フルートは無断で国を出てきた。
言い方を変えれば逃げてきた、だ。
結婚はいやだし、何よりクラーリィと顔を合わせるのが辛い。
今までもう一人の兄のように慕ってきたのだ。
それをほんの数時間前にぶち壊されたような気分だった。
私にだって自分の好きなように人生を送る権利がある。
そう思ったらいつの間にか国の外へ出ていたのだった。
ただ・・・
ひとつの心残りは母、ホルンのことだった。
今までどんなことがあってもフルートを強制するようなことは何ひとつ言わなかった母。
その母がいきなり「結婚しろ」だなんて・・
と、フルートを大きく混乱させた。
『まだ魔法も使えないダメな私なんかより国一番の法力使いのお兄ちゃんのほうがよっぽど国を守っていけるのに・・』
スフォルツェンドは女王国家だ。
よって王ではなく女王が国を支えていく義務がある。
フルートははあ、と息をつき、その場に座り込んだ。
『今頃みんな大騒ぎになっているんだろうな・・』
一番の妹バカな兄、リュートの慌てぶりを想像し、フルートはふふっと笑った。
『あ・・わ、笑ってる場合なんかじゃないのに・・』
私はお母さんを裏切ったのに・・・。
“裏切った”
自分で思ったその言葉が胸に突き刺さる。
「・・っう・・・」
気付くと涙を流していた。

しんと静まり返った闇色の森の中に、少女の泣き声が響く。



「ったくよーオレの好きな曲弾けって言ったじゃねーかよ・・・ん?」
特大バイオリンを肩に担ぎ、弓と金が入った袋を左手に持ち、ハーメルは森の中で立ち止まった。
「な、なんだこの声・・」
うう・・うう・・と、森の奥から声らしきものが聞こえる。
『なっなんだ!?魔族かっ!?』
ハーメルは瞬時に袋をふところに大切にしまい、弓をとりバイオリンを構えた。
う・・うう・・・
声は止まない。
『この声・・まさかタケノッコーン・・・!?』
タケノコ魔人タケノッコーン・・そう、春先になるといたる所に生えまくり、付近のきこりの皆さんに迷惑をかけるという・・
あの魔人である!
『ち・・そうなるとどこから生えてくるか分かったもんじゃないぜ・・』
勝手にそう決めつけ、ハーメルは一人であわあわと辺りを見回す。
ガサッ
「そこかあっ!」
ひゅんっ!
茂みで音がしたその瞬間、ハーメルはばっと目標に向かって弓を投げつけた。
「―っいったあ!」
「へ?」
お、女の声・・?
タケノッコーンは女だったのかああ!
「いったいわね!誰よっ!」
ガサッ
「・・・!」
涙目で頭を押さえながら一人の少女が立ち上がった。
「へ・・・」
「あなたなの!?これを投げつけたのはあっ!」
少女は弓を掴み、ハーメルをキッと睨んだ。

そう・・これがハーメルとフルート、二人の出会いである。

「う、うっせえ!こっちがどんな思いで投げつけたと思ってんだよ!」
「はああっ!?そ、そんなの知らないわよっ!」
初対面で激しいケンカを繰り広げる二人の声が森の中に響き渡る。
「こっちゃ魔族かと思って心臓が破裂寸前だったんだぞ!」
「ま、魔族ぅ・・?」
ぷっ
「!?」
「あははは!」
突然フルートはお腹を抱えて笑いだした。
「なっなんだよっ!」
「あははっ!ばっかみたい!」
あははは、とフルートは瞳に涙を浮かべながら笑う。
『へ、変な女・・・』
ハーメルは笑い続ける彼女を見ているうちに、怒る気も失せ、マントを翻した。
「あ・・待って!」
「ああ?」
すがる様な声に呼び止められ、ハーメルは足を止めて振り返った。
「ここは・・ここは一体何処なの?」
急に今にも泣き出しそうな、不安に満ちた表情でフルートはハーメルに訊いた。
ハーメルはそんな彼女の表情に疑問を抱きながらも、
「ここは・・アンセムだ」
と答えた。
「・・・」
フルートは表情を曇らせ、下を向いた。
「・・なんだお前迷子か?」
「まっ・・!」
「ハーちゃあああん!」
「「!」」
闇に満ちていた森の中にぽつんと小さなオレンジ色の光がちらつく。
それをバックに黒い影がハーメルに向かって一直線に走ってくる。
「う、うわっ」
その影は勢いよくハーメルにがばっと抱きついた。
「もう!心配したんだよ!今何時だと思ってるんだよ!」
「ら、ライエル・・・」
ぎゅう〜っとハーメルを抱きしめるそれは、ハーメルの親友、ライエルであった。
「相変わらずだな・・兄さんは」
サイザーはハーメルのふところから覗く袋を見て苦笑を浮かべた。
「は、ハーメルッ!大丈夫だった!?兄ちゃんに連れて行かれなかったの!?」
「に、兄ちゃん・・?」
ハーメルは尋常ではない母親の声と表情に一歩後ずさった。
「僕ずーっと待ってたのに!ハーちゃんのばかっ!」
ライエルは未だハーメルを抱き締めたまま離れない。
そんなライエルにハーメルはぼそっと、
「おい・・そんなにひっついてるとサイザーにホモかと思われるぞ」
と囁いた。
その瞬間ライエルはばっとハーメルの体から離れた。
『し、しまった・・!』
顔は真っ青になり、そーっとサイザーを盗み見る。
実際そんな顔はしていないが、サイザーの呆れたような引いているような顔がライエルの脳内に浮かんだ。
ライエルはわああっと顔を両手で覆って走り出した。
『どうして!どうしていつも僕は・・っ!』
――好きな人にかっこ悪いところしか見せることができないんだーっ!――
どかっ!
「きゃああっ!」
「うわあっ!」
ライエルの体が宙に舞う。
ずざーっ
顔から地面に落ち、勢いよくすべった。
「ごっごめんなさい!」
そう、ライエルは隠れるように身を縮めていたフルートにつまづいたのであった。
突然のことにフルートは立ち上がり、姿を露にしてしまった。
「あら、その子は?」
「あ、ああ・・」
ドキッ
フルートの心臓が飛び跳ねる。
『ど、どうしよう・・もし私がスフォルツェンドの王女だって知っていたら・・・』
「すっごいかわいい子ねー!」
「へ?」
パンドラは地と同化したライエルを踏みつけてフルートに歩み寄った。
ずいっと顔を近づける。
「ヘエーこりゃ上玉だわあ」
サイザーも見て!
とパンドラは少女の様にはしゃぐ。
フルートはそんなパンドラに唖然としてされるがままになっていた。
「か、母さん・・失礼じゃないのか・・」
サイザーはさすがに母の行動にぎょっとする。
『女の子・・』
フルートは唯一正当な意見を述べるサイザーを見つめる。
「ご、ごめんなさい・・私そろそろ・・・」
「ハーメル!あんたこんなかわいい子どこで見つけてきたのよ!」
『ライエルここに眠る』と書いた丸太をライエルの横に刺そうとしていたハーメルが勢いよく振り返りパンドラを凝視する。
「も、森の中にいたんだよ!オレはそこを通りかかっただけで・・」
するとパンドラはゆらりと立ち上がった。
「ヘェ・・嘘つくのね・・・」
「へ!?」
ハーメルは突然の母の豹変に驚いて引きつった顔で一歩後ずさる。
「・・こんな夜中のこんなひとっこひとりいないような森の中で男女が二人っきり・・・」
「か、母さん?」
「な、なななに言ってんだ・・」
暴走を始めた女の子らは額に汗を浮かべる。
「アンタこの子に何したんじゃあああ!こんなに怯えてええ!!その真っ黒なマントで怯えるこの子を縛り上げて※△を×〒☆して○%#・・・・」
ブブーッ!
「ああ!意識を失っているはずのライエルの鼻から大量の鼻血があっ!」
サイザーは真っ青になって絶叫する。
ライエルは女の子やこういう類の話が大の苦手である。
意識を失ったまま、噴水のように鼻血を噴き出している。
「ばっばかやろー!そんなことするかああ!やめてくれええ母さんっ!!」
ハーメルは真っ赤な顔で暴走を続ける母に向かって叫ぶ。
「そんでもって☆※をヰ▽◎したんだろおおお!?このバカ息子おおおお!取り返しのつかないことしやがってええええ!!」
「・・・・!!」
フルートは突然弾丸のようによからぬことをしゃべりまくる美しい女性にますます唖然としていた。
『な、なんなのこの人おっ・・!』
どう責任取るんじゃあああ・・・

パンドラの叫びは星空へと吸い込まれていった・・・。


それから小1時間。
「なーんだそういうことだったの!そういうことは早く言わなきゃダメじゃないハーメル!」
なんでオレが怒られなきゃいけないんだ・・・
そう思いながらも「ハイ」と口が勝手に動いてそう答えた。
なんとか必死にフルートが説明したおかげでようやくパンドラの暴走は止まった。
「ところで・・」
サイザーがフルートの顔を見る。
「お前は・・なんでこんなところに?」
話を振られたフルートはその質問の内容に体を強張らせる。
「あ・・そ、その・・・」
手に汗が滲む。
ど、どうしよう・・なんて言えば・・・
「言いたくなかったらいいのよ」
優しい表情でパンドラは言った。
「こんな夜遅くに女の子が一人で森の中にいるなんて何か理由があるんでしょう。でも別にその理由を無理矢理聞く必要はないわよね」
「まあ・・それもそうだな。」
サイザーも納得して静かに笑う。
「・・・」
フルートはうつむいて足元に咲く小さな花を見つめた。
そういえば最後にスフォルツェンドを出たのはいつだっただろう・・・
自然と父と母、兄の顔が浮かぶ。
『心配・・してるだろうな・・』
「ところでさ!君名前はなんていうの?」
はっとして声の主を見る。
見事復活し、ニコニコと微笑みを浮かべるライエルであった。
「あ、私はフルートっていいます」
ライエルにつられてフルートもにこっと微笑んだ。
「フルートちゃん、かあ。僕はライエル。よろしくね!」
ライエルはフルートの右手を両手で掴み、ぶんぶんと振った。
「よ、よろしく」
明るい人だなあ・・
それがライエルの第一印象だった。
「そう言えば自己紹介してなかったわね。私はパンドラ。こっちが娘のサイザーでこっちはハーメル。双子なのよ」
「双子!」
そういえばどことなく似てる・・。
「けっ!さっきまでキーキー怒ってたやつとえらい違うじゃねーか」
「!?」
突然ハーメルがそう吐き捨てた。
「な、なんですってえ・・?」
「そんな無理矢理作ったような笑顔なんて見たくねーっての」
・・え?
「に、兄さん!」
「もー帰ろうぜ。腹減ったしよ」
ハーメルはくるっと後ろを向くと歩き出した。
「ご、ごめんねフルートちゃん!あ、ああいうやつだからあんまり気にしないで」
必死にライエルが代弁する。
フルートはすっと一筋にハーメルの背を見つめた。
「そうね」
一点の曇りもない笑顔でフルートは笑った。

そんなフルートを、パンドラは優しく見つめていた。
『やっと出会えたのかな・・・』

「フルートちゃん、よかったらうちで暮らさない?」
パンドラが唐突に言った。
フルートは驚いてパンドラを見つめる。
サイザーは母の言葉に咄嗟につぶやいた。
「もしかして・・帰るところがないのか?」
「・・・」
フルートは困ったように笑い、うつむいた。
「・・そうなのか・・・」
サイザーは寂しそうにフルートを見つめた。
「だからうちへおいで!ねえ!いいわよね?サイザー」
「ああ!私は全然構わないぞ」
「で、でも迷惑じゃ・・」
「あら。全然迷惑なんかじゃないわよ」
え?とパンドラの顔を見ると、みるみるうちにパンドラの顔が邪悪な笑みに変わっていく。
「その代わり骨になるまで働いてもらうんだからねえ・・・」
『!!』
ぞおおっと悪寒が走る。
「もう・・脅かすなよ母さん!」
サイザーは母に一括するとフルートににこっと微笑んだ。
「私も歳の近い友達が欲しかったんだ。迷惑なんかじゃないから・・その・・一緒に暮らしてみないか?」
つっかえながらもサイザーはそう言い終えた。
「ありがとう・・」
フルートは泣きそうになる心をぎゅっと抑え、微笑んだ。
「あ、でもあの人・・は」
フルートはもう姿が見えなくなりそうなほど小さくなったハーメルの背中を指さした。
「ハーメル?あああれは放っときましょ。どうせいいなんて言ってくれないんだから」
「兄さんも素直じゃないからな」
母子の団結力にフルートはふっと笑った。
『ハーメル・・か。』
もっとあなたのこと知りたくなったな。

こうしてフルートはパンドラ宅に居座ることとなった。

『もう少し・・ゆっくり考えよう』

結婚のことを。




第二楽章【春の歌】 終



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