第一楽章【ワルツ第7番】


「はあ・・・」
無意識にため息をひとつついた。
これが冬だったら白い空気となってこの自然の広がる外へと消えるのだろう。
その瞬間が好きだけど今はもう春だもの、見えるはずがない・・。
「フルート様!」
びくっ
毎日着ていても着慣れないドレスを身に纏った肩を小さく反応させ、この国の姫、フルートは振り返った。
「パ、パーカスさん・・・」
パーカスと呼ばれた年老いた男は、ぴしっと引き締まった執事服を身に付け、眉間に皺を寄せて立っていた。
「フルート様!またこんな所で油を売っていたんですか?今日は大事な用があるとホルン様から聞いていたでしょう!」
パーカスは興奮ぎみにそう言い終えた。
「ご、ごめんなさい・・その・・ちょっと風に当たりたくなっちゃって・・」
「それは昨日聞きましたが?」
っ!・・しまった・・・。
パーカスはじとっと疑うような眼差しでフルートを睨んできた。
そろそろ言い訳もできなくなってきた・・・。
フルートは苦笑を浮かべ、
「ごめんなさいっあとで行くわ」
と告げ、その場を逃げるようにあとにした。
「フルート様っ!」
後ろでパーカスの慌てたような声が聞こえる。
『ごめんなさいっ!』
フルートは心の中で謝り走り出した。
ドンッ!
「いたっ!」
前をよく確認せず走ったため何かにぶつかり、前に倒れそうになった。
寸前で何かがフルートの体を支え、冷たい廊下を這うことはなかった。
「っ大丈夫か?・・・っフルート様・・!!」
体を支えてくれた声の主は、腕の中の人物の顔を確認するがいやに驚きの表情を浮かべた。
「クラーリィさん!」
若き大神官、クラーリィ・ネッドであった。
「すっすみませんっ!俺の不注意で・・!」
クラーリィは顔を真っ赤にして腕の中のフルートにペコペコと謝った。
「いえっ!私のほうこそ前も見ずに走ったものだから・・」
互いに私が悪い俺が悪いと言い争う。
そのうちにクラーリィは自分が今どんな状況なのかを改めて把握した。
自分は一国の姫を腕に抱いている―――。
「うわああっ!す、すみません姫っ!!」
「きゃあっ!」
いきなり手を離されたフルートはバランスを崩し、その場にべちゃっと転んだ。
「い、いた・・・」
「・・・・っ!」
クラーリィは言葉を失い、真っ青になってあたふたと目を泳がせている。
「・・っあははは!」
とたんにフルートが笑い出した。
そして自分をぽかんと見つめている男に笑顔で言った。
「クラーリィさんって面白い人ね!」
それでは、と踵を返してフルートは長い廊下へと消えた。
残されたクラーリィは一人、まだぽかんと佇んでいた。
そして静かに、まだ愛しい人の感覚の残る腕を見つめた。

そんなクラーリィをパーカスは柱の陰からじっと見ていた。

『王女・・・』



―――アンセム

金色の髪をした青年が一人、鼻歌を歌いながら街を歩いてゆく。
途中で見つけた赤い小さな花をそっと摘み取った。
『まるであの人の瞳のようだ・・』
そう心に浮かんだ言葉にぼんっと赤面をしつつも、いそいそとその小さな花を片手に持ち、スキップで歩みを進めた。

あと40歩・・あと27歩・・あと15歩・・・あと・・・・
「パンドラさーん!」
金髪のくせっ毛に小さな赤い花を手にしている青年―ライエルは、少し古ぼけた一軒家の前で庭掃除をする女性に笑顔で手を振った。
「あら、ライエルくん」
パンドラと呼ばれた女性はぱっと花が咲くような笑顔をライエルに向け振り向いた。
ぎょっ!
目の前で咲いた笑顔にライエルは一歩後ずさる。
「ぱ、パンドラさん・・・何かあったんです・・・かっ!」
ぐいぃっ!
「ら〜い〜え〜るうぅぅう〜〜!!おまえはあぁまあぁあーっったうちのムスメに手ェ出す気じゃあるまいなあぁああ!?」
ズゴゴゴゴゴ・・・・
パンドラはさっきまで笑顔を浮かべていた人と同一人物とは思えないような邪悪な顔でライエルの首を締め上げた。
ライエルは目を剥き花を持つ手で首を絞めるパンドラの両手をバンバンと叩いた。
「ちちちちち違いますうぅぅう!!ぼっ僕はっ・・は、ハーちゃんによ、用があって・・・っっ!!」
「ウソつけーーっっ!!!」
パッコーン!!
「ぐぎゃあああああ!」
「お前みたいな善人ぶった顔したヤツが一番怪しいんだよおおぉぉお!!なんっじゃその花はあああ!?」
パッコンパッコンバッコン!!
パンドラは手にしていたスコップで手当たりしだいライエルの頭を殴り続けた。
ケケケケケ・・・
魔女のような不気味な笑い声が響き渡る。

『ん?』
買い物かごを手に提げ、白いエプロンドレスを着た少女が立ち止まる。
『あ、あの声は・・・』
あんぎゃあああ!!
『!』
あの叫び声は!!
少女の体中からサーっと血の気が引いた。
「母さん・・・っ!」
一目散に声のするほうへと走って行く。

「ふひひひひどうだライエルううぅう・・!これでもまだうちのムスメに近づくかああ!!」
ぶくぶくぶく・・・
きゅうーっと首を絞められたライエルは口から泡を吐き、パンドラの質問にも答えられない。(答えられるはずがない。)
「母さんっ!何やってるんだ!」
「「!?」」
先ほどの少女が姿を現し、パンドラに向かって叫んだ。
「あらサイザー、お帰り♪」
『さ、さいざーしゃん・・・』
少女の名はサイザーと言い、パンドラの一人娘だ。
「母さんっ!ライエルが死んでるじゃないか!」
「あら。殺してなんかいないわよー♪ねえライエルくん?」
ぶくぶくぶく・・・・
ライエルの手にしっかりと握られた小さな花・・(泡だらけになってしまったが)。
それを渡したくてしょうがなかった相手、サイザーと結ばれる日が来るのだろうか・・。
ライエルは薄れゆく意識の中でそんなことを考えていた・・・・。



「あれ?ハーちゃんはどこに行っているんですか?」
「ああ、兄さんは街でいつもの、だ。」
ああ・・いつもの、か。
ようやくサイザーの説得で首を絞めるパンドラの手から解放されたライエルは、パンドラとサイザーの家で一息ついていた。
「しっかしハーちゃんもよくやるよなあ。」
ハーちゃんというのはパンドラの一人息子でサイザーの双子の兄だ。
ライエルの古くからの親友でもある。
「なにがだ?」
台所から顔を覗かせてサイザーが問う。
手には包丁が握られている。
今日はサイザーさんが料理当番か・・。と、嬉しい反面、先日の殺人的な手料理を思い出して身震いした。
「バイオリンですよ。よくもまああのハーちゃんがあんな大きな物運んでまで人々のために演奏しに行くな、と。」
一息ついてテーブルに出されたお茶を飲んだ。
「あの子は賢いわよ〜。魔曲で客を操ってお金を稼ぐだなんてさすが私の子ね!」
テーブルを挟んでライエルの前に座ったパンドラが目を光らせて嬉しそうに言う。
「兄さんはずる賢いからな・・。」
今に始まったことではない、と母子は納得していた。
ライエルはそんな二人に苦笑した。
『ハーちゃん早く帰ってこないかな・・』
話したいことがたくさんあるんだ。

ライエルはそっとテーブルの花瓶に少し萎れた花を挿し、ドアを見つめた。


「結婚!?」
気付いたときには大声を出していた。
いやこれが大声を出さないでいられるかッ!
フルートの両手はわなわなと震え、目の前で微笑を浮かべる母と兄を見つめた。
「ええフルート。あなたもうすぐ16でしょ?そろそろ女王になる準備をしようと思ってね」
この国の女王、ホルンはベッドの中でそう言った。
な、な、なんで・・・!!
フルートは突然の母の言い草に言葉を失った。
「フルート好きな人なんていないでしょ?なら最高の相手だと思うんだけど」
兄、リュートがニコニコと言う。
相手・・・?
するとホルンが笑顔でフルートの後ろを指さした。
「・・・?」
そろそろと振り向くとそこには緊張した表情で立つクラーリィがいた。
「・・え・・?」
「フルート、彼と結婚するのよ」
ホルンがにっこりとフルートの肩に手を置いた。
え・・・・
「ええっ!?」
クラーリィさん!?
「ち、ちょっと待ってお母さん!いくらなんでもそれは・・・」
それに結婚なんて!
「本当はダルセーニョのトロン王子が最適なんだけどねぇ・・王子はまだ結婚できないし、他の王子なんてフルートに合わないし」
「そうそう!で、考えたらこんな身近にいい相手がいたじゃないかとね!」
ちょ、ちょっと待ってよ。私の意見は聞かないの!?
「だ、大体クラーリィさんに迷惑じゃないそんなの!それに私まだ結婚なんて・・・」
涙が出そうになった。
まだ・・まだ15歳なのよ・・?
「フルート。」
急にホルンが真剣な面持ちで静かに娘の名を呼んだ。
「私もその歳で結婚なんて早いと思うけど・・私の体がこんなんじゃなかったらね、本当はこんなことは言わないのよ。」
母、ホルンの身体は悪い。
魔族との戦いで傷ついた兵士や人々のために、使えば自分の寿命が縮む魔法を使い、あと数年の命と言われるほど弱ってしまったのだ。
「だからフルートには私が元気なうちに女王を引き継いでほしいの。それにはいい人といい結婚をしてもらいたいのよ」
お母さん・・・
ゴホゴホッ!
突然ホルンが苦しそうに咳をし、口から血を吐いた。
「!・・母さんっ!」
リュートが必死に介護をする。
『・・・っ!』
フルートはそんな母の姿と、自分の思いにどうしていいのか分からなくなり、王室を飛び出した。
「・・・フルート・・」



ドアがいくつも並ぶ廊下をがむしゃらに走る。

結婚!?
いやだ。したくない!
クラーリィさんは嫌いじゃない。でも・・・・・!
「王女!」

咄嗟に堪えきれず流れ出た涙をぬぐい、笑顔で振り向いた。
「な、なに?クラーリィさん」
クラーリィは複雑そうな顔で少し離れたところに立ってフルートを見つめていた。
下を向き何も言ってこないクラーリィの姿を見るのを苦に感じ、わざと明るい声で言った。
「ごめんなさいっ!お母さんが勝手にあんなこと・・言っちゃって。気にしないで!私はまだ結婚なんて・・したくない・・し・・・」
そう言いながら先ほどの母の吐血を思い出す。
苦しそうに咳をし、それを介抱する兄。
私・・は・・・・。
「王女」
いつの間にか涙をこぼし嗚咽していたフルートの頬に温かいクラーリィの両手が添えられる。
「俺は・・王女が・・・」
『クラーリィさん・・・?』
優しく、それでいて強いクラーリィの瞳。
その瞳とフルートの瞳が距離を縮める。
「俺は王女のことが好きです」
唇と唇が重なる瞬間―――
フルートはクラーリィの胸をどんっと押した。
「・・ごめんなさいっ・・!」
フルートはクラーリィの両手を頬から離し、踵を返した。
長い廊下にフルートの走り去る音がこだまする。
クラーリィは空に浮かんだ自分の両手に残るフルートの涙をきゅっと握り、ゆっくりと空を仰いだ。




第一楽章【ワルツ第7番】終



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