第三楽章【乙女の祈り】


目を開けると目の前に女がいた。

ハーメルはいつもの部屋でいつもの朝を迎えた・・・・はずなのだが。
寝ぼけ眼をぱちくりしながら、自分の真横で規則正しい寝息を立てるフルートを見つめた。

「・・・・」
頭がうまく回転しない。
なんでオレのベッドに?
コイツは誰だ?
昨日の飯はなんだっけ。

訳の分からぬまま、オレの横で静かに眠る少女を凝視ししたまま3分が過ぎようとした。
次第に頭がハッキリして来るが否や、心臓が急速に早鐘を打ち始めた。
状況を理解したその瞬間、ハーメルは勢いよく上半身を仰け反らせた。

「んなっ・・・!!」
ちょっと待てちょっと待てちょっと待てっ!!
なんでコイツがオレのベッドにいるんだっ?!
・・ふ、フルートとか言ったよな!?
・・・・落ち着け。落ち着くんだ。
・・昨夜はオレが先に寝た。
コイツを含め母さんやサイザーで何やら遅くまでくっちゃべってたんだよな。二階まで聞こえてきたんだ。
あまりにもうるせーから頭まで布団被って我慢してたらいつの間にか寝てたってワケだ。
・・・・オレはヤマシイことは何一つしてねえぞ・・
だっ大体昨日会ったばかりのこんなガキに手なんか出すかよ!
『はっ早くここから出なけりゃ・・!こんなところ母さんに見られたら大変なことになるぜ・・!』
ただでさえ誤解を招くこの状況を、あの思い込みの激しい母親が見たらタダではすまさないだろう。
もんもんと数分後の自分の姿を想像してしまう。
『まずオレに何をどうやったかを吐かせた後、馬の首と猿の首入りスープを・・・』
「ハーメルー?」

ぎくっ!

噂をすればなんとやら。
朝から明るく元気な声がハーメルを呼んだ。
「フルートちゃん起こして一緒に降りてらっしゃい!ご飯よー!」
ハーメルは手に汗を握り一階から呼びかける母親に返事をしようとする。
が、発した声は声にならずに消えた。
「・・ハーメルー?起きてるのー?」
「わっ・・わかった!起きた!今行く!!」
必死の思いで出した声は上ずってはいたが、起きていることが分かるとパンドラはその場を去って行った。

「・・あ、危なかった・・・」
あのままだったら二階まで様子を見に来ていただろう。
『あとはコイツを起こさねえようにここから・・・』
安堵の気持ちで振り返ったハーメルが見たものは、真っ赤な顔でわなわなと唇を震わせるフルートだった。



「兄さん・・いい加減機嫌を直さないか?」
「・・・・・」

両方の頬を真っ赤に腫らしたハーメルは、眉を寄せたサイザーの質問にも答えずただ黙々とバイオリンの手入れをしていた。
サイザーはそんな兄に小さなため息をつき、今度は台所に立つフルートの元へ行った。
「フルート」
「!・・な、なに?サイザー」
フルートは一瞬小さな肩を強張らせ、振り返った。
「すまないな」
苦笑混じりに言うと、フルートは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「いや、そんな、元はと言えば私が悪いんだから・・・」

やりすぎた。

フルートは内心、こう思って止まない。
一連の出来事を簡単に説明すると、半分夢の中の状態のフルートが、パンドラに言われた自分の部屋とハーメルの部屋を間違え、既にベッドで寝ていたハーメルに気付かず共に就寝してしまった。・・・
(当然怒り狂ったパンドラは、ハーメルと共にフルートへのお詫びとして自殺未遂をしようとした)

『明らかに私が悪いのよね・・』
それなのに、目覚めた瞬間、いるはずのないハーメルに驚き、慌て、羞恥した結果悲鳴を上げながら往復ビンタを食らわせてしまった。
『どうして私っていつもあの人とうまくいかないのかしら・・・』
昨日からケンカをしてばっかりだ。
はあ、と深いため息をつき、フルートはうなだれた。
それを見たサイザーは慌てて笑顔を向ける。
「そ、それよりそれはなんだ?」
うなだれた首を上げ、サイザーの言う「それ」を見る。
今さっきフルートが作り終えた弁当だ。
「お弁当よ。サイザーとパンドラさん、出掛けるんでしょ?」
「私たちの為に作ってくれたのか!」
サイザーは少し感動に浸りながら弁当の箱を開けた。
色とりどりの野菜やおかずが綺麗に並べられている。
「あんまりおいしくないかもしれないけど・・」
「すごいな、母さんも喜ぶよ。ありがとうフルート」
サイザーは嬉々として弁当をバッグへ入れると、玄関へ向かった。

玄関には既に準備を終えたパンドラがサイザーを待っていた。
「それじゃあフルートちゃん、くれぐれも火事とか空き巣とか借金取りとかヤクザ」
「ハ、ハーメルももうすぐ出掛けるし、のびのびと羽を伸ばしててくれ!」
サイザーはパンドラの言葉を遮り、慌しく玄関の外へ出て行った。


リビングに戻ると、ハーメルの背中が見えた。
金色の髪がうつむかれ、白い首筋が覗いている。
青いシャツがよく似合っていた。

「・・・」
昨日のこと、部屋のこと、頬のことを謝ろうと開いた口は、何も言葉を発せずに閉じてしまう。
思えば昨日から私はこの人と・・ハーメルと、互いを罵ることしか話していない。
そんな関係しか築けないなら、もう気にしなければいいことなのに。
なぜか・・気になって仕方がない。

先に口を開いたのはハーメルだった。
「おい」
「え、あ、な、なに!?」
突然のことに心臓が波打ち、フルートは弾かれたように返事をする。
「・・・・わ」
「・・わ?」
「・・・わ・・・」
なかなか言葉にならない言葉を、フルートは高鳴る胸を落ち着かせながら待つ。
「・・・かった」
「え?」
ぼそりと吐き出した言葉にハーメルの耳が赤くなった。
しかしフルートの耳には届かず、思わず聞き返すとぶっきらぼうに言い返された。
「悪かった!」
「・・・へ」
予想だにしない謝罪の言葉に、フルートは素っ頓狂な声を出した。
わずかに覗くハーメルの白い肌は、腫れた頬より真っ赤になっていた。
「・・で、でもな、オレは何ひとつヤマシイことはしてねえからな!起きてから気付いたんだからな!」
必死に弁解するハーメルの背中を見ているうちに、フルートの顔もだんだんと紅潮してきた。
それと同時に嬉しさで胸がこみ上げる。
「だからオレは・・」
「謝るのは私のほうよ!」
「な・・・」
抗議の言葉に思わずハーメルは振り返った。
「私が勝手に部屋を間違えたのがいけないのよ!」
「いやでもオレが!」
「いいえ私が!」
私が悪い、オレが悪いと言い争ううちに、二人は今までの出来事が嘘のように、気持ち悪いほどの友情を感じ始めた。
昨日の敵は今日の友。
二人は荒い息を整え、目を輝かせてお互いを見合った。
「フルート・・」
「ハーメル・・」
何気にお互いを名前で呼び合うのが初めてであることに気付いていない。
それどころか二人は爽やかな笑顔で言い争いを終えた。
「ねえ、それあなたの楽器?」
フルートはハーメルの横へ行くと、ハーメルの手によって丁寧に手入れされたバイオリンを指さした。
自然と声が弾む。
「ああ。オレの祖父が作った超特大バイオリンだ」
「何か弾いてみせて!」
「ああいいぜ!オレの一番好きな曲を弾いてやる」
フルートは胸を弾ませ、バイオリンを肩に担ぐハーメルに見入った。

すっ・・・

♪ちゃーらーらららあーちゃーらーらららあー

「むっ!?」
曲が流れ出したその瞬間、フルートの目つきが変わった。
「オレのだぁあーいすきな名曲!ドナドナ〈マリオネットヴァージョン〉だー!!」
「うおおおおおおおお!!!!」
フルートは突如、台所へと突っ走る!
そしておもむろに鍋を取り出すとそれを頭上に掲げ思いっきり頭に打ち付けた!
「お母さんお兄ちゃん死んじゃったお父さんごめんなさいいいぃ〜!!」

ガンガンガンガンガン!

フルートの頭は流血で赤く染まり、それでもなお聞いただけで死にたくなるドナドナによる自殺行為を地味に続けた。
そんなフルートを見、ハーメルは今までに感じたことのない感動に襲われていた。
「す、すげえ・・!こんなに感受性が豊かな奴は初めてだぜ・・!」
興奮に駆られたハーメルは、実験の如く他の曲を弾いてみた。
「マーラー作曲巨人!〈マリオネットヴァージョン〉!」
「ぐおおおおおーー!!」
みるみるうちにフルートの体は巨大化し、天井を突き破った。
「おおおお・・!」
感動で震える弓を握り締め、ハーメルは自分の弾ける限りの曲をメドレー形式に弾き続けた。
「スッペ作曲軽騎兵!〈マリオネットヴァージョン〉!」
「どりゃあああああーーー!!」
「ハチャトゥリヤン作曲剣の舞!〈マリオネットヴァージョン〉!」
「おりゃあああああーーー!!」
「ビゼー作曲カルメン!〈マリオネットヴァージョン〉!」
「そいやあああああーーー!!」
次々と恐ろしい形相で操られるがままに家中を破壊するフルート。
それを楽しげに、しかしどこか邪悪な笑みで操るハーメル。
ハーメルの腕が限界を覚えるまで、二人の〈マリオネットヴァージョン〉は続いた・・・・。


「は・・はーめる・・・」
「ん?どうした?」
事を終え、楽譜を引っ張り出して無口になったハーメルにフルートは蚊の鳴くような声で言った。
「あなた・・出掛けるんじゃ・・なかったの・・・」
ついさっき思い出した疑問を投げかける。・・でもそんなことより。
「ああ、別に大した用でもないし面倒臭くなっちまったからやめた」
楽譜から目を離さずにあっけらかんと述べるハーメルに拍子抜けする。・・でもそんなことより。
「なんか・・か、体が・・い、いた・・・」
体が、痛い。ものすごーく痛い。
なんかこう・・体中ギシギシきしんで・・こ、心なしか寿命が・・・

痛くて痛くて涙が滲んできたフルートに、ハーメルはこれまたあっけらかんに言った。
「ああ、マリオネットをすると死ぬより辛い、地獄の筋肉痛になるんだ」
「き、筋肉痛っ!?」
「ああ。それと一回やる毎に寿命が三年縮むんだ」
「さ、三年〜!?」
ぎしっ
「い、いたたたたた!!」
そんなの聞いてない!!
さ、詐欺だ、ペテンだ、悪魔だあああっ!
「いやーしっかしこんなにオレの魔曲が効くやつがいたなんてなー。これからもよろしく頼むぞ、フルート」
ぽん、とハーメルは満面の笑みでフルートの肩を叩いた。
その軽いボディタッチですら今のフルートには凶器を突きつけられたと同様の痛みに感じる。


昨日の敵は今日も敵。

彼の笑みの奥深くに潜む黒い何かを、フルートは見た。





第三楽章【乙女の祈り】 終



.

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ