金銀花
□君の存在意義
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「退」
彼女が僕の名を呼ぶ声が好き。
暖かくて優しくて…。
癒しを与えてくれるから…。
君の存在意義
意識が、遠くなっていく感じがした。
いつも癒しを与えてくれた声に、暖かさは感じなくて…。
ただ、悲しそうに叫ぶ声だけが耳に届いていた…。
「さがるー!!」
彼女の桜子に視線を向けたら、瞳に涙を一杯浮かべている姿が映った。
桜子が泣いている…。
微かな意識の中、俺はそんな事を考えた。
桜子には泣いて欲しくなくて…。
何時も笑っていて欲しくて…。
俺はそんな桜子に笑って欲しくて、大丈夫だよ…と微笑んだ。
桜子を安心させたくて微笑んだのに、安心した桜子を見る前に、意識を手放した…。
* * *
「退!!いやっ!離してよ…っ!退!!」
土方の静止を振り切ろうと、桜子は必死になって山崎の元に走り寄ろうとする。
傷を負った山崎が、部屋へと運ばれていく。
近くに寄って、その温もりを確かめたい。
離れない様、傍にいてあげたい。
「桜子!落ち着け!山崎なら大丈夫だ!!」
「でも…っ!」
「彼奴だって真選組だ。こんな事で死ぬ野郎じゃねぇ」
「退…」
土方の言葉で、次第に落ち着きを取り戻していく桜子。
山崎が運ばれていく姿に、ただただ立ち尽くしていた。
山崎が怪我をした。
密偵中に敵に気付かれ、斬り付けられたと言う。
監察らしからぬ失敗に、皆が息をのみ見つめている。
山崎に信頼を寄せていた者達は、不安な視線を向けるばかり。
怪我をしたと言う情報を聞き、桜子は仕事そっちのけで山崎の元へと駆け付けた。
桜子は真選組の女中。そして、山崎の彼女でもある。
真選組内に居るのだから、誰かが怪我をしたと言う情報はすぐに手に入る。
愛する人が怪我をしたのに、自分には何も出来ない。
ただ、無事を祈っている事しか出来ない。
どうか…
どうか無事で居て―…
* * *
『退…』
桜子が、俺の名前を愛しそうに呼んでくれるのが大好き。
桜子が、俺に笑い掛けてくれる事が大好き。
真選組に咲く一輪の花に恋をしたのは、俺だけじゃなかった。
綺麗で、それでいて笑顔が可愛い桜子に、男が惚れない訳がない。
毎日、隊士達が出ていくのを見計らい、懸命に話しかけていった。
その時だけは、二人だけの時間を過せる。
優越感に浸りながら、俺は可愛い桜子に酔いしれていった。
初めて出会った時から、桜子の笑顔が頭から離れなかった。
離れなくて、ずっと桜子の事だけを考えていた。
まさか、告白して結ばれるなんて思っても見なかった。
桜子は笑いながら、頷いてくれた。
「私も…好きだよ」
少し赤くなった顔が可愛くて…。
桜子を、思いきり抱き締めた。
ずっと抱き締めたかった細い体は、凄く暖かくて…。
背中に回してくれた腕は優しく、俺を包み込んでくれた。
そんな優しくて暖かい桜子を、俺は泣かせてしまった…。
俺がドジさえ踏まなければ、桜子の笑顔を見続ける事が出来たのに…。
俺を呼んだ時の桜子の声が、耳から離れない。
悲しそうな、桜子の声。
何時もの優しい声を、俺が奪ってしまったんだ…。
桜子には、何時も笑っていて欲しい。
優しい声で、俺の名前を呼んで欲しい。
それを、俺が奪ってしまった…。
ごめんね…って言って、償えるかな…?
桜子は優しいから…。
きっと…
許してくれるよね…。
夢の中で、桜子が笑っていた。
意識を失う前は泣いていた桜子が、笑っていた。
「退」
その笑顔に安心した瞬間、ふと夢が途切れた。
桜子が呼んでいる。
そして、ゆっくりと意識を取り戻した―…
* * *
命の別状はないと知り、一安心した桜子。
山崎の横で、心配そうに見つめる。すると、手が微かに反応した。
ぴくりと動いた指を、桜子は見逃さなかった。
「退?」
呼び掛けると、山崎はゆっくりと目を開けた。
少し前のめりになり、山崎を覗き込む様に見つめた。
目を開けてくれた山崎に安心し、安堵の笑みを浮かべた桜子。
「ん…」
「退!」