たんぺんA

□それすら武力行為
1ページ/1ページ



馬鹿みたいなアホ面で、そんな一生懸命仕事しなくても給料の貰える先生は、黒板にチョークを叩き付けていた。教室に響くのはガツガツという音とともに欠けていくチョークの音と、変に口調のおかしな先生の声だけ。
そんな先生の授業でさえ、聞いて受けてい私は一体どこへいったのだろう。今の私には先生の言葉がこれっぽっちも入ってこない、びっしり詰まっていたノートも、2、3ページ前からはミミズのような字が這っている。いつもと同じ、何も変わらず過ぎていく日々、その場凌ぎの友情だの愛情だのは何もいらなかった。そう思うのは今も昔も変わらない、はずだ。そこに本当にそれで良いのだろうか、という疑問を抱いてしまったのが間違いだったんだと思う



「よう。」



誰にでもとるような、しかしながら愛想のない態度。それにさえ抵抗力がなく、つい肩を震わせるように驚いてしまう



『う、…はぁ、』

「何だそのリアクション」

『ご、ごめん』

「別に怒ってないからあやまんな、」



初めて架院と話したのは今からちょうど一週間前の、今日みたいに天気のいい昼休みのことだった。もしこれが決まり切った運命であったなら、神様は一体なんのために私にその運命とやらを与えたのだろう(ぶっちゃけ運命を与えるのが神様なのかは知らない)。過ぎ去っていくだけの毎日に変化を与えるため?そんなことなら、神様はとんだお節介だと思う



「今日の昼飯は?」

『お弁当』

「中身だよ中身」

『昨日の夕飯の残りのハンバーグと卵焼き、きんぴらと母の漬けたぬか漬け、とごはん』



私は変化なんていらない、普通の毎日だけで十分過ぎるのに



「夕飯の残りとか、要らん情報練り込むな」

『え、えっと』

「正直で結構」



この架院暁という男のことが少しだけ理解できるようになった今、神様のお節介も悪くないなんて思い始めたのも事実だ。だからといって架院に心を許しているかと聞かれれば、そんなことは更々ない。それこそ私の考える普通、ではないのだ。というよりほんのわずか一週間の出来事の中で心を許せる関係になるなど可笑しすぎるじゃないか。人と関わることが人並み以下の私が言えることかはわからないが、心を許せる関係を築くのにはそれなりの時間というものが必要なのは確かだ



『そういう架院は、偏った食事じゃん』

「そりゃどーも」

『褒めてないよ?』

「知ってる」




そしておきまりの薄く笑って口元を緩ませる行為に、私は勝手に体温が上がっていくのだった。その笑顔ははたして私以外の誰に対しても向けられているものなのだろうか。だとしたら彼は相当天然なのだろう。この笑顔の餌食になった人達に同情したくもなったが、そのことを考えるのと全く同じタイミングで、この笑顔が私だけに向けられていたとしたらと思ってしまった。不思議だ。そうだとしたらなんだというのだろう。そうだとしたらなにか、変わるのだろうか



『野菜もとったほうがいいよ』

「嫌いなんだよ」

『子供じゃん』



そんな架院のハンバーガーとポテトとチキンナゲットというファストフードを目にして、不意に自分のお弁当のおかずの中のおひたしをあげた。彼にはハンバーガーとおひたしのまさかのコラボレーションに爆笑されたが、嫌な顔一つせずにたいらげられてしまった



それすら武力行為



その笑顔は暴力よりも威力の強い行為で、その優しさはやはり同情によく似ていた



20100928


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ