□モノクロ
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嘘に塗れた世界。醜くて、汚いのが当たり前。世界をそう見る様になったのは小学五年生に上がった時。その時…いや、その前から周りは嘘、偽りの世界になってしまっていたのだろう。馬鹿で、まだ餓鬼だった俺はそれに気付かなかったんだ。気付き始めたのは母さんが家に男を連れ込み始めてから。学校から帰れば当たり前の様に見知らぬ男が居た。

男は毎日、毎日変わっていて…。母さんが何人もの男と肉体関係を持っているのだ、と理解した。今日…俺は母さんと見知らぬ男がセックスしているのを見てしまった。耳障りな水音が響く。耳を塞いでも聞こえてくる母さんの嬌声。


全てが欝陶しい。俺は逃げる様に家を飛び出した。雨の中傘もささずにただただ走る。目的地なんて有りやしないさ。ただ家から離れたかった。俺を殴る酒に溺れた馬鹿親父からも、男遊びに溺れる母さんからも。離れたくて、離れたくて…無我夢中で走った。
頬を伝うのは冷たい雨だけじゃない。瞳から溢れ出しているのは紛れも無い涙。生暖かいソレは止まる事を知らないかの様に幾度も頬を伝う。はぁはぁ、と上がる息。

疲れた―…


もう駄目、だ。

力の入らなくなった足が地に付く。水溜まりに座り込み膝を抱えて静かに涙を流す。今なら泣いても良いと思えたから。雨が涙を隠してくれる。汚れた心を洗い流してくれる、そう思えたんだ。
体を打ち付ける雨が今は嫌じゃない。ぐっしょりと濡れた服は重くぴたりと体に張り付く。
気持ち悪い…だけど、どうでも良いんだ。もう、どうでも……

「どうでも良え…もう、どうでも良えんや」

「何がどうでも良えの?」

突然体を打ち付ける雨が止み、俺とは違う誰かの声が聞こえた。
ゆっくりと見上げれば優しく笑う同い年位の男の子が目に入る。癖のある髪はぴょこんと跳ねていて、向日葵みたいな笑顔。可愛らしいと言える男の子。

「俺、忍足謙也いうねん。なぁ君は何て名前なん?」

「…光」

苗字は言いたく無かった。
あの汚くて醜い大人と同じ苗字なんか要らない。要らないんだ。
“忍足謙也”と名乗った男の子は、俺の手を引いて立ち上がらせた。そして、そのまま屋根のある所まで行く。俺は黙ってされるがままに。

「あの、忍足クン」

「謙也で良えよ。あ、座ろか?」

謙也クンの言葉に頷いて地面に座る。立てた膝に頬を擦り寄せた。
雨で濡れたズボンが俺の頬を濡らす。謙也クンも同じ様に座って俺の濡れた頭を撫でる。

「手、濡れてまうよ?」

俺がそう言うと謙也クンは優しく微笑んで顔を横に激しく振った。
傘を畳んで地面に置いた謙也クンが俺の冷え切った体を包み込む。

「構わへんよ!光、めっちゃ寒いやろ?俺が温めたる!」

ぎゅうぎゅうと俺を強く抱き締める謙也クン。温かい謙也クンの体温がじわじわと体に染み込む。
凍り付き掛けた心が溶けてゆく…
止まっていた涙が再び溢れ出す。

「ッぅ…ひ、ぅ…うぁぁ、ぁ」

仕舞いには泣き声を上げて泣きじゃくる。謙也クンはそんな俺の背中を優しく、子供をあやす様にぽんぽんと叩く。初めて感じた人の優しさに、温もりに、涙が止まらない。小さく大丈夫、大丈夫と呟く謙也クンの温かい声。

「光?悲しいん…?」

謙也クンの問い掛けにどう答えれば良いのか迷う。俺は悲しいのだろうか?俺は、悔しかった…悔しくて、悔しくて…でも、やっぱり悲しくて泣いていた。両親から感じ取れない愛情。それがどうしようもなく悲しかった。
愛されていないという事実がただ悲しかった。一人が寂しくて…。
ずっと寂しくて仕方なかったんだ。愛して欲しかった…!


「風邪引いてまう…俺ん家行こ?お風呂入って体温めなアカン」

「……おん」

傘を開いて俺に差し出された謙也クンの手に一瞬戸惑う。俺なんかがこの手を取って良いのだろうか。俺なんかが…と頭の中で拒絶する自分。見兼ねた謙也クンが俺の手を握り歩き出す。
少し大きめな傘は二人を雨から守るには十分な大きさだった。



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