宝物小説(戴き物小説)5

□筒井筒
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「若林の旦那、いるかい」
いきなり座敷に入り込んできた男に、羽織を着込んだ芸者は動じる様子はない。ただ、呼ばれた若林の方は違った。
「お前、今すぐ消えるか、頭と胴体が生き別れるが良いか、さあどっちだ」
物騒な文句を、穏やかならざる顔で言い放つ。
「まあ、そうひどいことは言わないでよ。まがりなりにも、一樹は私の従兄弟なんだから」
芸者は間を取り持つように、二人の間に割って入った。
「岬」
一樹の従姉妹にあたる岬は芸者を生業としている。男名の源氏名を名乗り、座敷には羽織を纏って芸を売る、世に言う辰巳芸者の類いだ。太郎という名で売れっ子の岬は、その中でも凛とした風情で名が売れている。
「ここでは太郎、だよ。一樹、どうしたの。そんなに慌てて」
一見地味な黒い紋付の羽織が、抜けるような色の白さを引き立たせている。音も立てずにしなやかな身のこなしで立てば、すらりとした体つきが際立つ。
「若林の旦那を探しに来たんだよ。軽津の旦那が大捕物とかで、手を借りたいとさ」
「全くあいつは人遣いが荒い。友と思えば、我慢してやっているが」
若林はこぼしながらも、渋々立ち上がる。
軽津は若林の元服前からの悪友で、奉行所勤めの同心だが、手に負えないとなるとすぐに助勢を頼んで来る。それでも、軽津の手伝いとなれば、人の役に立つことだからと岬の機嫌が良くなるのは分かっていた。それに加えて、岬の従兄弟である一樹の頼みでもある。岬を横目に窺えば、岬は立ち上がって見送る支度をしている。
「ありがとう、若林の旦那。今日の花代は一樹が払ってくれるから、どうぞ、いってらっしゃい」
一樹の従姉妹として、淑やかに微笑む岬に、若林の頬も緩む。だが、すぐに岬は頭を下げた。
「では、またご贔屓に」
親しげに話しても、あくまで芸者と客として振る舞う岬に、若林は未練めいた眼差しを向けるしかない。

「おう源さん、悪いな」
「そう思うなら、助っ人料は弾んで貰おうか」
馴染みの芸者の座敷にいるに違いないと、一樹が揚屋に迎えに行った割には、若林は酒に酔っている様子もない。無役なのを良いことに、赤みの強い紫の着流し姿だが、背が高く、大柄な若林には厭味な程に似合っていた。素面で笑っている割に、どこか凄みがあるのは、若林の踏んできた場数を示していた。
「お前といい、首名といい、相変わらず友達甲斐のない奴らだぜ」
そう言いつつ、軽津は道の開けたところに立つ木の下を指差した。
「まあ、それは置いといて。それより、あいつだ」
軽津の指し示す先には、刀を振りかざした浪人がいる。道端で刀を抜くというのは、本来ありえないことだ。
「見張りだけの筈が、うっかり目が合っちまったらしくて」
下っ引きの仕業とはいえ、捕物を指揮していた軽津に責めがないとはいえない。普段は飄々とした軽津が苦々しい顔をするのも是非もない。
「そうか。…相当の手練れだな」
「勝てるか」
「俺の敵ではない」
軽く言い放つと、若林は浪人が余所を向いている間に、側まで近付いた。音もなく振るわれた若林の剣は浪人に当たらなかったものの、驚かせて剣を取り落とさせるには十分であった。そのまま当て身を食らわせ、若林は浪人をその場に倒した。
「お見事」
たちまち捕り方に押さえられる浪人を横目に、一樹が声をあげる。動きの取れない中で、軽津に若林を呼びに行くと言い出したのは、一樹である。版元を生業としているものの、名を伏せて戯作も嗜む一樹である。仕事の傍ら、よくこうして捕り物の場に来ては、伝令やらで手助けしている。今日のように神業を目にすれば、その労苦の甲斐もあったといえる。
「若林の旦那、これから一杯いかがですか。さっきはお邪魔したところですし」
一樹としては、従姉妹の幼馴染みとはいえ、そう話すことのない相手である。無役とはいえ旗本で、剣の腕前は免許皆伝と聞けば、戯作者の血が騒ぐ。
「そうだな、岬はもう帰ってしまっただろうしな。良いだろう。一杯付き合おう」

「岬とは相変わらずですか」
尋ねた一樹に、若林は無言のまま肯んじた。その眼前には、既に銚子が林立しており、酔わせて口を割らせるのは難しそうだと一樹は悟った。
「相変わらず、座敷に呼べば、来てくれるだけだ」
淡々と言いつつも、その口吻は苦々しさに溢れている。
「岬も嫌いで別れた訳でもないでしょうがね。他の客にも一向に靡かないと評判になっていますよ」
器量が佳くて、芸の腕も確かなため、岬を贔屓にしているのは、上客が多い。そして、それを片っ端から袖にしている。お高く止まった芸者をものにしてやると強引に迫った客もいたが、岬は得意の小太刀で撃退し、また評判を上げた。
「どうだろうな」
若林は呟いて、酒肴に頼んだ糠漬けを摘む。そんな何気ない仕種さえどことなく品があり、一樹は目の前の男が旗本であることを思い返す。普段は砕けた様子ながら、武士としての顔が透けて見える。
「岬はあの通りの気性ですからね。本当に嫌いなら、気を持たせることもしませんよ」
花を持たせながらも、一樹は若林の目に宿る影が気になっていた。昔、岬に紹介された時は、明るく気さくな様子に、いかにも御家人の三男坊だと思ったものだが、今ではまるで違って見える。

 御家人だった岬の家が取り潰しの憂き目に遭ったのは五年前のこと。姻戚の家が不始末で改易になったことで連坐させられた。母方の従兄弟である一樹の家は大店の版元反町屋で、暮らし向きにも不自由はない。岬の母親は既に亡くなっており、岬一人なら引き取るという話もあったが、岬は父親の薬代を稼ぐために芸者になった。南葛小町と名高かった美貌に、芸事の嗜みのあった岬はすぐに売れっ子となり、病に伏した父親がすぐに鬼籍に入った後も、岬は淡々と芸者稼業を続けている。
 一方、若林は元々岬家の向かいの家の三男坊である。三男ともなれば、家を継ぐ当てもなく、冷や飯食いの部屋住みが常であるが、偶々母方の旗本若林の家に跡継ぎがいなかったため、源三は乞われて養子に入った。
 元々恋仲の二人だった。しかし、若林の家に養子に入るという話の持ち上がっていた源三に、自分の危急を知らせて助けを乞うことを、岬は良しとしなかった。そして、筒井筒の二人は道を違えた。

「岬はきっと…」
「あいつが大変な時に、俺は何も知らずにいた。今は逢ってくれるだけでも、良いと思っている」
店を出てからも、言い募る一樹を、若林は素っ気なくいなす。望みを持つのは悪くはないが、今の自分では、岬を求める資格はないと己がよく分かっている。
「次の用があるのでな。では」
足早に立ち去る若林を見送り、一樹はまた首を傾げる。無役の男にしては、張り詰めたような表情で刀の束に手を掛けた若林には、恐らく何かある。勘にしか過ぎないが、若林には岬のこと以外にも、自分の知り得ぬ闇があると一樹は思った。
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