宝物小説(戴き物小説)5

□ブラックサンタ
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「また来たのかい?君は相変わらず神出鬼没だね」
医学部生の三杉は、同じ大学の学生にして、腐れ縁の昔なじみの若林と学内のカフェテリアで遭遇し、開口一番そう言った。医学生らしい知的な雰囲気、整った顔立ちの三杉は見た目は完璧であるが、向き合っただけで若林にむかつきを起こさせる存在感の持ち主である。
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」
そう言い返しながらも、若林がその場を去ることをしないのは、理由がある。
 若林は現在恋をしていた。珍しいような長身に鍛え上げた肉体、精悍なマスクの若林は、三杉ほどでないがモテる。人並みに付き合いはしても、溺れることのなかった若林だが、先日出会った相手に一目惚れをした。
 それ自体はどうということはない。その相手が、裏の仕事のプロフェッショナルらしいこと、若林が初対面でセクハラ三昧をしたこと、を除けばだが。
 その相手が、実は同じ大学の学生な上、三杉の元で仕事を行っているとは、若林は知らない。ただ、三杉がその場にいたのには何か事情があり、何らかの情報を握っているとは見当をつけていた。
 それはともかくとして、三杉は口が堅い。かくて、若林は他の人間には話せない悩みを、三杉に延々と垂れ流す日々を送っているのだった。

「それで、返されたハンカチに付いてた香りな、フランス製の石鹸だったんだぜ」
「…君は何を分析してるんだい」
工学部の井沢が若林に分析を頼まれて徹夜した件も、三杉は知っていた。珍しい香料が使われていたから、特定は容易だったろうが。
「珍しい石鹸だから、日本ではほとんど売ってないらしいぜ。やっとあの子の正体に近付いたぞ」
グッと拳を握りしめる若林に、三杉は冷ややかな眼差しで応える。
「…それで、見つけたらどうする気なんだい?」
若林の卓越した能力を知っている三杉だけに、早々に忠告はした。
「もちろん、口説くに決まっている。誠意を以って口説いたら、きっと分かってもらえるだろう」
「名前も教えてくれていないのにかい?」
その誠意には、拉致監禁がセットなのを察した、辛辣な三杉の台詞にも、若林は動じる様子もない。
「嫌だったら、ハンカチを返して来ないだろう?」
「異常に義理堅いのかも知れないよ?」
異常に、の部分を強調した三杉に、若林は鋭い視線を投げたが、三杉は黙殺した。
「そんなことばかり言っていないで、クリスマスの有意義な過ごし方でも考えた方が良いと思うね。ちなみに、僕は弥生くんとクリスマスデートだよ」
「…だから、クリスマス前に探しているんだろうが!」
「だから、それが不毛だと言うのだよ」

 不毛なやり取りを終えた三杉が帰り道にカフェで会った相手を知ったら、若林は怒り狂ったに違いない。カフェの似合う大学生二人は、大胆にもカフェで次の仕事の段取りをしていた。
 ターゲットの男は、資産家の一族で、暴力事件を起こしてからは、家の外から一歩も出ていない。2年ぶりの外出が好機とはいえ、その行き先が地下アイドルのクリスマスパーティーであるというのが、三杉も岬も躊躇するポイントであった。
「パーティーの場所も突き止めたし、スタッフとして潜り込めたけど…プランが立てにくい」
岬は入手した当日のスケジュールと図面を手に、しきりとペンを動かしている。
「うん…握手会とか、フルーツバスケット大会とか、よく分からないね」
サンタクロースのコスチュームで、入場管理等の雑用をするアルバイトスタッフ。客を管理できる立場ではあるが、時間と人の流れが把握できないことには、計画も流動的にならざるを得ない。
「僕も行こうか?客方面の目もあった方が良いよね?」
「…三杉くんが来たら、アイドルかっさらって、注目集めそうだから、遠慮しておくよ。一応、いくつかプランは立てたから、その場で何とかするよ」
ペン先は隣の余白に移っている。めどがついたらしいと、三杉は岬の横顔を眺めた。この一見穏やかな容貌に、隠された影があるとは、誰も思いもしないだろう。あの男は、果たしてどこまで気付いているのか。若林に思いをはせたところで、三杉は岬の髪から香る匂いが気になった。
「岬くん、香水か何か使っている?」
「ううん。先生にもらった石鹸だけ」
「…ああ…ピエール先生か…」
三杉は薄い唇を少しだけ歪めた。岬が師事したピエール先生は、三杉も知らないでもない人物だが、決して親しくはない。むしろ同族嫌悪の対象として、常に一定以上の距離を保っている。岬に対する偏愛っぷりを知ってからは余計にだ。
「大量に石鹸を送ってくるから、使うしかないんだよ…」
岬の台詞にこもった切迫感に、その匂いが危険を招くとは言えず、三杉は黙り込んだ。後にその判断を後悔することになるとは知らず。

 仕事は簡単に片付いた。綿密に計画し、慎重に警戒していたにも関わらず、余りに手応えのなかった仕事に、岬は息をついた。血圧が急上昇して死んだ男は、贔屓のアイドルの腹の上という状況から、行き過ぎた興奮状態と見なされるだろう。十年前に同じ状態で死んだアイドルがいたことが記録に残っていない以上。
 岬はアルバイトの仕事も終えてから、店を出た。万が一に顔を見られることを恐れて、サンタクロースの衣装は着けたままだったが、クリスマスの町では珍しいことでもない。そう判断した岬は路地から大通りに出た。

 大通りは、異様な空気に包まれていた。
 一人の男が犬を連れているのは問題ない。ただ、その雑種らしい白い犬に、何かの物質を嗅がせ、匂いを辿らせるというのは、ドラマ等でしか見ない光景である。周囲が男を遠巻きにしているのももっともであった。岬もそのままやり過ごしてから立ち去ろうと思った。
 次の瞬間、岬は殺気を感じて飛びのいた。さっきの男の関係者にしては早すぎる、と振り返ったところで、犬を連れた男が、件の若林だと気付いた。
「そこのサンタ、待てよっ!」
「待たないっ!」
岬は元の路地に戻り、塀を登って、店の屋根に上がった。犬連れの相手にできない芸当と思っての行動だったが、その認識は甘かった。
 若林は「行くぞ、ジョン!」と声をかけると、背中に飛び乗ったジョンを背負ったまま、屋根に飛び移った。
 岬は敏捷さを活かして道路に下り、歩道を走った。人の多いクリスマスの町は、小柄な岬には有利である。とはいえ、体に合わないサンタの服装は、自由を奪う。人をすり抜けるというよりは押し退けて迫る若林に、岬は必死で逃げていた。
 信号が変わった。渡り損ねた岬の上着の衿に、若林の伸ばした手が届いた。岬は引っ張られる前に、振り払いざまに上着を脱ぎ捨てる。
「!」
足止めにするつもりで、できるだけ派手に動いたせいで、帽子までが脱げて、岬は逆に若林と正対することになった。ここまで走って来たせいで、シャツ一枚でも寒くはないが、その体ごと見られている感覚が、全身をすくませる。
「なあ…」
「近付かないでっ!」
道路に飛び出そうとした岬の目に、一台の車が映る。
「こっちだ、岬くん!!」
雑踏の中から、聞き慣れた声を聞き分けて、岬はすぐに走った。助手席のドアを開けて待っている車は、銀のアルファロメオ。
「待て!」
若林の目の前で、車は走り去った。

「クリスマスに、街中で追いかけっこをしたんだぜ」
食堂で隣に座った若林の第一声に、三杉は飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
 たまたま弥生のボランティア活動が終わらず、時間をずらして迎えに行く道中で、岬を救出した。若林に追われた岬は涙目で、怯えていた。
「サンタコスプレで待っていてくれてな。途中で親が迎えに来たのが残念だ」
引き続き、恐ろしい解釈を披露する若林に、三杉は相槌を打つ気にもなれず、放置する。三杉の見たところでは、岬は抵抗して、上着を投げ付けていたのだが。
「何度見ても可愛くて、恥ずかしがりで奥ゆかしいのも、何とも言えないぜ」
じろじろ見られた、と岬はしばらく震えていた。まだまだ続く若林の妄言であったが、三杉は一つだけ気になる点があった。
「親が迎えに来たのか?」
「ああ。銀のアルファロメオだぞ?親に違いないだろう?」
自分の趣味にケチを付けられても、反論できない三杉に、若林は更に追い討ちをかけた。
「岬ちゃんって言うんだぜ。名前も可愛いな」
「な、名前、聞いたのかい?」
「ああ。そう呼ばれていたぜ」
平然と答える若林に、三杉は岬に心の中で詫びた。そして、何としても岬を守ろうと改めて決意するのだった。



(おわり)
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