宝物小説(戴き物小説)5

□ブラックメイド
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「まさか、あんなことになるとはね…」
「ごめんね、所長」
三杉邸内の研究所に客が現れたのは、日曜の昼下がりだった。
 三杉淳は都心にはありえない広さの面積を誇る三杉邸に、自分用の研究室を構えている。臨床医よりは研究者に自らの適性を見出だしている三杉が、祖父の使っていた別棟のアトリエを改装した建物で、研究室とはいうものの、日当たりの良い中庭のテラスはそのままになっている。
「あんなに簡単に捕まると思ってなかった…修行不足だよ」
客は定位置となっている中庭の隅のベンチに座り、深くため息をついた。中庭のハナミズキの影になっている分、ひどく落ち込んで見える。
「岬くんのせいじゃないよ」
三杉の言葉に、岬と呼ばれた客は顔を上げる。先日とは違い、シャツにパーカーを羽織ったラフなスタイルで、ウィッグは外しているものの、あの時の女子高生なのは明らかだ。
 岬が反省しているのは、その「仕事」の件に他ならない。三杉の出身校の女生徒を弄んだダンス講師を殺すという依頼で、他の審査員が三杉に魅入った隙に女子高生に扮した岬が標的を殺し、三杉が介入して証拠を消したところで、姿を隠す手筈になっていた。ところが、岬は不意に現れた若林に捕まり、催眠術も効かなかったため、眠り薬を使ってようやく逃れたような有様だ。
「岬くんじゃなくて、僕の失敗だよ。…まさか若林くんが来るとは思わなかった」
若林といると、不思議と小さなトラブルが大事になる。それをよく知る三杉は、若林を牽制しようと社交ダンスに誘ったのだが、何故か会場に現れた若林ときたら、岬を小脇に抱えて連れ帰ろうとしたり、逃げる岬を襲ってみたり。
「それを言うなら、僕が後れを取ったせいだ…」
「ストップ。若林くんは特別だから、仕方ない」
華奢に見えても、格闘技経験者くらいなら、軽く倒せる岬だ。若林でなければ、その岬を拉致しようとしたり、睡眠薬で落とされるまで不埒な行為をしたりなど、不可能だ。
「分かったよ。ありがとう」
「…それと、岬くん。悪いけど、三杉くんと呼んでほしいね」
三杉は優雅な手つきで紅茶をカップに注ぐと、ベンチの隣に腰掛けた。
「そうだったね、ごめん」
岬はメルシィ、と言いながらカップを受け取ると、三杉の方に膝を寄せる。
「僕達は友達、だもんね」
三杉とは学部が違うが、岬も同じ大学の学生である。くすくす笑う岬の顔は、まだ幼さを残していて、可愛らしい。昔から、三杉とは違う層の人気を集め、何度も告白されたものの「自分から告白してくる女はいやだ」だの「一目で恋に落ちるような相手に巡り合いたい」だの、あの天然にして高慢なグルメ野郎若林が一瞬で心を奪われたのも無理はない、と三杉は思う。その行動はともかくとして。

「それで、今日の仕事だけど」
「うん。俳優が美人局に遭った事件だよね」
先日松本という俳優が離婚したのだが、その背景には、彼がハニートラップにはめられたため、妻の政治家を巻き込みたくないという事情があった。
「それで、誰を消すの?」
「…岬くんは、本当にあっさり言うよね」
仕事の話になると、岬は仕事人の顔になる。普段の、中性的で笑顔の印象的な岬は消え失せている。
「今度は、失敗する訳にはいかないからね」
同い年の岬の優しい顔には、どれだけの闇があるのかを三杉は知らない。ただ、三杉が初めて仕事を依頼した時に「所長の闇は、全部僕が引き受けるから」と笑ってみせた岬の言葉はまだ鮮明に覚えている。
「誰がはめたかは分からない。議員の敵対者だとは思うけど。それをまず調べてほしい」
ファイルを手渡す三杉に、岬は静かに頷く。いつもなら、たったそれだけで、仕事は始まるのだが、今日は違った。クリーニングされた制服を置き、立ち去ろうとした岬に、三杉が極上の笑顔とともに声をかける。
「若林くんに会ったら、襲われる前に、すぐに逃げたまえ」

 若林はため息混じりにガラスケースを見つめた。ガラスケースの中に飾られているのは、右足分しかない破れた靴だ。三杉に愚痴ったものの、心は鎮まらない。
 あの日、ぶつかった仕事人が気になって仕方ない。色が白くて、良い匂いがして、チョコレートを溶かしたように甘い目に、柔らかそうな唇は花びらのようだった。
 その唇が本当に柔らかかったことを、若林は知っている。抱きしめた腰の細さに、いっそう征服欲が掻き立てられた。
 次に会ったら。どうするのか自分でも分からない。その謎が、若林を余計に駆り立てる。
「時間か…」
若林は立ち上がり、タキシードの襟を正す。父親から、片桐議員のパーティーへの同行を命じられているのだ。気分は晴れなくても、仕事は別だ。

 ホテルの宴会場を借り上げたパーティー会場は、開会を前に雑然としていた。父親が議員に挨拶するのに従いながらも、若林の目は左右に配られている。一見すると普通のパーティーだが、警備員が必要以上に多く、緊張が感じられた。あまりの厳戒体制に、若林は父親が自分を呼んだ理由を推測する。
 片桐議員の属する派閥は、政界を代表するもう一つの派閥と対立している。そして先日、対立派閥所属の女性議員小泉の夫が女性タレントとのスキャンダルを起こし、二人は離婚することになった。離婚を決断したのは俳優の方だったが、失意の夫を見捨てた冷酷な妻と書き立てられた小泉への影響は小さくない。となれば、夫のスキャンダル自体が何者かの企みである可能性がある。
 何となく裏を読めたところで、若林は会場から廊下に出る。警備の配置や建物を一通り見ておけば、どこに注意すれば良いかは自ずと分かる。伊達に三男ながら後継者に選ばれていないと見渡したところで、若林の目は吹き抜けの向こう側に釘付けになった。ホテルの喫茶室のワゴンでポットを運んでいるのは、あの仕事人だった。髪型は違っているし、メイド服に身を包んでいる。だが、可愛らしくも凛とした横顔は間違いない。
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