宝物小説(戴き物小説)5

□ヒーロー
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「じゃあ、行ってくるな」
若林は男らしい顔を柔らかく緩めると、心配そうな表情で手を振る岬の目の前で、重い扉を閉めて鍵を掛ける。そして手元の小型端末のスイッチを入れ、それから出動した。

 若林はヒーローである。代々その類いまれな運動神経と強靭な肉体、人間離れした能力を生かして、ヒーローとして平和を守って来た。その一方で、引退した者達が蓄えた財を元に組織化して一族をバックアップし、より安全で確実に正義の活動が行えるようになった。独自の情報機関修哲部隊は、国家機密すら手中に収めていると言われる程だ。その結果、数多の犯罪組織からは、警察とは比べ物にならない程、手ごわいヒーロー一族として認識されている。

 岬はそんな若林の同居人である。とはいえ、恋仲になってからの関係であるため、若林の認識としては同棲しているという方が正確だ。ヒーロー活動が現役の内は、結婚しても同居はできないという一族の掟に従って結婚していないだけで、伴侶だと若林は思っている。
 若林はマシンを走らせながら、修哲部隊からの連絡を確認する。井沢の報告では、立てこもり犯とのことだが、そう規模も大きくないため、解決に時間はかからないと予測し、息をつく。そう時間を取られるわけにはいかない。

 事件を早々に解決して、若林は家に戻った。タイムリミット内に解決しなければ、さっさと帰るつもりでさえいた。そして、若林のそんな意図をよく知る警察が安堵しているのも知っている。幸い、家の方には何の異常もない。後片付けを始めている周囲をよそに、若林は帰途に就いた。

「ただいま」
この家は若林の持つ鍵でしか開錠されない。その上ヒーローの住む家としては厳重すぎるような防犯システムを施されている。慣れた手つきでカギを開け、重い扉を開けると、若林は岬のいる部屋に向かった。
「おかえり」
岬は夕食の支度をしていた。すっきりと整った顔立ちで、優し気な雰囲気の岬がエプロン姿で台所に立つ姿は、若林の好きな風景の一つだ。
「若林くん、ご飯にする?お風呂にする?」
若林の姿を認めて、岬は嬉しそうに微笑む。毎回の出動は命懸けで、岬はそれを案じながら送り出すしかない。今回の事件が小規模で、凶器は小さな果物ナイフだったことを聞けば、岬は安心することだろう。
「お前が良い」
全く迷いなく即答すると、若林は岬に抱きついた。
「…僕は選択肢に入っていないよ。お風呂どうぞ」
その割にはすげなく断って、岬は笑顔で手を振る。それでも、岬が安心しているのは間違いなく、若林は早く帰れたことに安堵する。
 立てこもりの現場ではネゴシエーターが犯人と交渉していたが、岬がいれば自分の出番もなかっただろうと若林は思う。岬は優秀なネゴシエーターだった。

 若林が岬と出会ったのも、事件を通してだった。女性行員を人質に取った三人組の銀行強盗に対し、現場に到着した岬は、自分が代わりに人質になると申し出た。中性的に整った柔和な顔立ちと華奢で細身の身体つきの岬は、自分が相手に警戒心を起こさせないことを知っている。
 この時も、ひきつけを起こしそうな女性よりも、この落ち着いた男性の方が良いだろうと強盗犯に考えさせた岬の勝ちだった。微笑んで挨拶をした岬に、リーダーは笑いを浮かべながら、手元に置いた。
 ここまでの交渉は岬のペースで進んでいると言って良かった。ところが、それに気を良くした警察が、若林の到着を待たずに、現場に突入してしまったのはまずかった。それで焦った強盗団が他の人質に向けて発砲しようとしたところで、岬は言った。
「人質は僕だけで良いと思うよ。他は足手まといだろ?君たちの都合の良いところに逃げるまで付き合うよ」
「じゃあ、あんたには出国までついて来てもらうしかないな」
笑顔で持ち掛ける岬に、強盗犯が親しげに肩を組む。余程場数を踏んだ若しくは生まれながらの犯罪者でもなければ、こんな状況ではストレスがかかる。それを和らげるような笑顔を向けられて、強盗が彼を味方と誤認するよう誘導する、それが次に岬の取った策だった。
「好きな車ってある?他の人質全員の解放と引き換えに、用意するよ」
「そうだな、バンが良いな。早いとこあんたを味わいたいからな」
腰に回される手に、岬は気にする様子もない。そのまま、ハンズフリーにした携帯電話で話す。
「人質を解放したら、バンを寄越して下さい」
下卑た笑いを浮かべるリーダーに、岬は頷いてみせた。
 他の人質が解放されるのを見守った後、銀行の前に横付けされたバンに強盗団が移動する。撃たれないようにと盾にされている岬は、落ち着き払っている。人質を全員助けた時点で、岬の仕事は終わっている。あとは隙を見て逃げ出せば良い。それまでは。
 車に乗せられる直前に、岬はフワッと浮き上がられるような感覚とともに、車の上に引っ張り上げられた。
「な、何っ!」
盾を失った強盗団が慌てて車の後ろに隠れようとする中、現れた若林が彼らを捕らえる。三人が捕まるまで、5分と掛からなかった。

 強盗団が護送されていくのを見守ってから、岬は自分を助けた若林に礼を言った。他の人質が解放されたタイミングで着いた若林は、岬が車に乗せられる直前に車の屋根に潜み、岬を引っ張り上げた。それから若林が単身飛び降りて、強盗達を確保した。
「ありがとうございました。こんなに絶妙なタイミングで助けられたのは初めてです」
丁寧に頭を下げた岬に、若林は笑顔を向けた。岬の服に隠されたマイクで、警察は現場の状況を盗聴していた。その音声を聞いて、若林は一度壊れた犯人との信頼関係を修復するよう努めたネゴシエーターに興味を持った。
 岬がいなければ、死傷者が出ている場面だった。説得ではなく共感を前に出した岬の言葉を聞きながら、感心していた若林だったが、実物の岬を見て、強盗団が釣られたのも無理はないと思った。落ち着いた声に見合った優しい顔だ。しかもその声は動揺することなく、強盗犯に好意を錯覚させた。
「なかなかの腕前みたいだな」
「ありがとうございます」
警察嫌いを公言している若林だけに、こんなに使える奴がいるのかと、かえって奇異に感じる。自分から警察関係者に話し掛けたのも初めてだった。
「お前、名前は?」
「岬太郎です、よろしく」
それが、若林と岬の馴れ初めだった。
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