宝物小説(戴き物小説)5

□真夏の夢
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「若林くん、起きて。朝だよ」
岬が微笑む。薄いクリーム色のシャツに、ピンクのエプロンという出で立ちは、色の白い岬にはよく似合っている。
「おはよう、岬。こんな早くにどうした?」
フランスに住んでいる岬が、こんな朝から現れるなんて。そう言って顔を上げると、岬は不思議そうに首を傾げた。
「仕事に行く時間だろ。さあ、起きて」
ベッドの上に乗って、布団をはがそうとする岬は、とても良い匂いがした。
「それとも、今日もおはようのキスがないとダメなの?」
微笑む岬の唇はふっくらと柔らかそうで、魅惑的だ。岬とは付き合っているが、朝からキスをねだられることなど、今までなかった。
「ああ、そうだ」
岬がどんな勘違いをしているのかは分からないが、こんなチャンスは滅多にない。俺は、岬の肩を掴むと、ゆっくりと唇を近付けた。

「おはよう、若林くん」
おはようのキスにしては、長くて深いキスになった。岬は顔を赤くしながら、抱きしめられて乱れた髪を直す。短く切り揃えられたサラサラの髪は岬に似合っていて、その香りだけで、たまらなくなる。
「なあ、もう一回…」
ねだった俺を、岬は黙って見返した。
「ダメだよ、翼くんが起きて来る頃だから」

 岬の後について、部屋を出ると、いつもの俺の居間の代わりに、カウンターキッチン付きのリビングが広がっていた。
 ドア近くの壁のボードには、いくつかの額が飾られていて、ウェディングドレス姿の岬の写真は、うっとりする程きれいだった。どうやら、俺達は結婚したらしい。
 岬は慣れた仕草でプレートを並べ、グラスを置いた。ランチョンマットは3つある。俺と、岬と、翼なのか?岬と二人なら分かるし、一緒に暮らしているなら嬉しいが、翼?
 そう考えた時だった。
「お母さん、おはよう」
覚えのある声が聞こえたかと思うと、見覚えのある人間が姿を現した。
 翼は、俺の記憶にあるよりは小さく、小学生にもなっていない様子で、岬に駆け寄った。
「おはよう、翼くん。お父さんにおはようは?」
岬にたしなめられた翼は不足そうだが、俺にとっては岬の台詞の方が予想外だった。
「おはよう、お父さん」
…どうやら翼は俺と岬の子どもらしかった。

「翼くん、そんなにこぼしちゃダメ」
岬は良いお母さんだ。料理もうまいし、優しいし、しつけもちゃんとしている。俺は最愛の我が『妻』に見とれながら、その視線を遮るように陣取る『息子』を見遣った。翼は顔中にオムライスのケチャップを付けながら笑っている。その視線は、オムライスと聖母のような岬に向けられ、どうやら俺はついでらしい。いや、慈愛の微笑みを浮かべた岬に顔を拭われながら、翼の目は俺を見ていた。『息子』に構う『妻』に苛立ちを覚える俺の嫉妬を煽るように、笑っている。
「岬」
翼のコップにおかわりの牛乳を注いでいる愛妻の岬を、後ろから抱きしめた。
「若林くん、もう時間だよ」
柔らかく釘を刺す岬に、後ろ髪引かれる思いで、用意をする。
「いってらっしゃいのキスは?」
ネクタイを結んでくれる岬に小声で尋ねると、岬は首を振ってみせた。
「だ・め。翼くんが見てるよ」
恥じらってみせる岬の可愛さと来たら。岬を抱きしめようとした時に、目が覚めた。


「おはよう、若林くん」
目の前にいるのは、岬だった。柔らかい髪も、ほっそりとした首筋も、優しい笑顔もそのままだが、あのエプロン姿ではない。白いTシャツに、ジャージという服装は、寝る前に見た姿だ。そして、その向こうには、翼が寝ている。
 …ようやく思い出した。昨夜は翼が来るというので、岬と三人で飲んだのだった。
 岬は翼が来るからと、いつもより張り切って料理を作り、何かと世話を焼いていた。それに嫉妬した訳ではないのだが。
「…夢か…」
つい呟いた。
 夢で良かったのか、夢でなかった方が良かったのか、分からないまま。



(おわり)
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