長編

□●NO.1 16Pまで
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 約束の時間より早くカフェに着いたリョーマは、探していた姿を見つけて駆け寄った。
「部長…!」
 振り向いた手塚の穏やかな表情に、気持ちが凪ぐ。思わず唇をほころばせると、手塚は眼を細めた。
「早かったな」
「うん」
 観葉植物に囲まれたその席は、他の席とは隔絶されたように静かでくつろげる場所だ。向かい側に腰掛けてオーダーを済ませたリョーマは声を潜めた。
「ねえ、女王サマが来てるって、ホント?」
「ああ。よく知っているな。昨日会ったぞ」
 クレーの女王と呼ばれる女。際立った容姿とプロポーションは、まるでモデルのように目立つ。イギリス郊外の街を拠点にしている選手だが、今はオフだ。西海岸に遊びに来てもおかしくはない。
「何しに来たんだろ…」
「観光だと聞いている」
「ふーん。誘われたりしなかった?」
「ああ。だが今日と明日はおまえと約束していたからな」
「…いいの?」
「時間があればまた連絡があるんじゃないか?」
 今の彼女にとって、手塚に会う以上に大事なことなんてあるのか。手塚のためならテニスをやめてもいいと言い切った、自信にあふれたグレーの眼を思い出す。
「ねえ、ホントに何でもないんだよね」
「うん?」
「あのヒト、アンタと結婚するとか言ってたけど」
「馬鹿だな」
 髪をくしゃりとかき混ぜる、子供をいなすような仕種。こんな扱いは誰にもさせたくないけど、手塚にされるのは心地よい。
「馬鹿でいいよ。だから教えて」
「彼女は友達だ。それ以上にはならない」
 手塚のことが好きだと公言しているクレーの女王。まわりもあの二人ならと認めている。それが悔しい。テニスの腕ではリョーマも手塚に並び立てるようになったと思う。女性だというだけで当たり前のように隣にいることが許されるなんて。
「そんなのわかんないじゃん。アンタ、ゲイじゃないんでしょ」
「そうだな。同性が好きなわけではない」
 きっぱりとした口調に、リョーマは眉を寄せた。
 いっそゲイだったら、自分も恋愛対象にしてもらえるのに。
「前から聞いてみたかったんだけど、部長ってどんなタイプが好きなんスか?」
 手塚は不思議そうにリョーマを見ていたが、ややあって口を開いた。
「好きになった人が理想の相手なんじゃないか?」
 だからと言って、誰でもいいいということではないだろう。
「…意外だね」
「うん?」
「結構ロマンティストなんだ」
「…そうか?」
「うん」
 手塚は誰かを特別に好きになったことがあるのだろうか。理想の相手と思えるほどに。
「そういうおまえはどうなんだ? 中等部の時はポニーテールの似合う子がいいと言っていたか」
「…よく覚えてるね」
 懐かしさがこみ上げる。練習の後に新聞部がインタビューとやらに来たが、適当に答えたことがあった。
「菊丸が竜崎先生のことだろうと言って、おまえをからかっていただろう」
「あー…そういうこともあったっけ」
 おチビ、スミレちゃんが好きなんだ! 面白がって茶化していた。
「俺、答えるの面倒くさくて適当に言ったんだよね」
「そうか。俺は答えなかったら適当に書かれたぞ」
 確か何でも一生懸命にやる子でおっちょこちょいでも良いなどと書かれていたので、具体的な相手がいるんじゃないかと噂されていたが。
「そ…なんだ。ふーん」
 懐かしさと共にこみ上げる不思議な感慨。あの頃はこんなに誰かの心を欲しがることがあるなんて思いもしなかった。
 じっと見ていると、手塚は薄く笑った。穏やかな、だけど揺るぎない強さを感じさせる眼だ。
「俺とおまえは似ているのかもしれないな」
「……アンタと?」
「初めておまえに会った時に思ったんだ」
「俺も…アンタを見た時に思ったよ」
 厳しい表情の上級生。二年生に絡まれていただけなのに、いきなりグラウンドを走らされた。結果としては部内のもめごとをうまくおさめた男。
「この人を倒したいって」
 隣に並び立つのは自分だ。そう思って。
 根拠のない確信だった。
 分かり合っているような気さえした。
 ──ろくに話をしたこともなかったのに。
 アンタと同じものになりたい。
 そんな気持ちを抱くようになって。同じようにプロのテニスの選手となって。
 手塚と戦える。それだけで心が浮き立つ。
 一緒にいるだけで幸せだと思う。
 でも、足りない。
 端正な横顔を見ていると、苦しい。
 こんなのは自分らしくない。リョーマは唇の端を吊り上げた。
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