長編

□●NO.1 16Pまで
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 反省点の多いシーズンだった。全米までには何とか立て直したが、調子に波がありすぎて結局はランクを保つことで精一杯だった。
 ──気持ちの起伏にこんなに振りまわされることもあるのだ。
 特に執着するものもなく、テニスをしていたら楽しかった。それだけでよかったのに。
 西海岸に移った手塚は、リョーマの住む街に越して来た。連絡先も交換して、以前は考えられなかった位にやり取りをしている。
 自分から進んで誰かに連絡を取ることなど今までなかったが、時間を見つけては誘うようになった。
 予定が合えば会ってくれる。誘いがある時は出来るだけ優先した。
 時折一緒に打てるのが嬉しい。いい練習相手になりたいし、なって欲しい。そして一緒に強くなりたい。
 手塚と過ごすのは楽しかった。先日の大会では対戦出来なかったが、次こそはと心から思う。
 ファイナリストとしてコートに立っていた手塚の向かい側にいるのが何故自分じゃないんだろう。悔しくてますますテニスに打ち込んだ。
 全英が終わると、次は九月の全米まで幾つか試合があるが、その合間を縫ってリョーマは久々に日本に戻ることになった。


 湯気の立った皿には、リョーマの好物が並べられている。引き払おうかと思いながら契約を続けている部屋は時折掃除がされているようで、久々の帰国にもかかわらず快適に過ごせた。
「リョーマ様! おかえりなさい!!」
 帰国を聞きつけた朋香が、早速タッパーを手に餌づけにやって来たのだ。相変わらず無駄に元気がいい。
「今日の茶碗蒸し、自信作だから」
 ヤケドしないでね〜! キッチンからでもよく通る声がはずんでいる。緑茶をいれて戻った朋香は、テーブルの向かい側から身を乗り出した。
「おいしい?」
「…いいんじゃない?」
 だしの味がリョーマ好みだ。母親があまり和食の上手な方でなかったので、差し入れされる家庭料理は結構楽しみでもある。
「ホント!?」
「百合根が入ってたらもっといいかも」
「百合根かぁ…あたし苦手だから入れてなかった。リョーマ様好きだっけ?」
 データを取る時の乾のような眼で見ている。特に好きというものでもないので今まで気にもしていなかったが。
「この間部長に作ってもらった茶碗蒸しに入ってた」
「ええっ…部長ってもしかして手塚先輩のこと!?」
 朋香はあんぐりと口を開けている。
「うん」
「作ってもらったって…手塚先輩料理するの!?」
「そうみたいだけど」
 リョーマも最初驚いたが、手塚はまめに自炊しているらしい。
 先日遊びに行った時に、実家から日本の食材が送られたばかりだと茶碗蒸しを作ってくれたのだ。上品な味付けは、手塚の母直伝のものだと聞いた。
「部長のお母さんが料理上手なんだって」
「へえー。あたしも教えて欲しいな」
「小坂田はこれでいいんじゃない?」
「やった! リョーマ様的には合格?」
「…さあね」
 つれない返事も気にしないのは、つき合いの長さ故か。思えば最初からこんな感じだったかもしれない。
「リョーマ様、最近すっごく楽しそう」
 朋香の声がはじけるようだ。初夏の空のように翳りのない声。
「リョーマ様が楽しかったら、あたしも嬉しい」
「ふーん」
 先日の大会では約束通りチケットを用意したが、結局仕事で観に来られなかった。普段受けることのない大きな仕事が立て続けに入ったらしい。
 さぼって来るようなことは好きではないと言ってある。何かと文句を言っても、真面目に仕事をしているようだ。
 彼女はリョーマにとっては友達だが、一応人気のグラビアアイドルだ。海外にまでテニス観戦に行っただけで面白おかしく記事を書き立てられる可能性は高い。
 噂になるのを避けるために、事務所が狙って仕事を入れているのだろう。それに気づいていないのは本人だけのようで、運が悪いと嘆いている。
 そんな所が可愛らしいと思うが、特別な感情は抱けない。
 ──いっそ好きになれたら簡単だったのに。
 南次郎のように好きな女を見つけて、家庭を持って。祝福されて子供を作って。
「明日も来ていい?」
「多分外で食べると思うけど」
「そっか、残念…」
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