And somewhere that is not here.



冬の風が冷たく頬に当たる。
痛みにも似た低い温度が、葉の落ちた枝の間をすり抜けていく。
「今夜は雪が降るかもしれないから、早く家に帰ろう」と、道ですれ違った誰かが言っていた。
通りで、詰め込まれたような空気が、さっきから空から降ってくるような感覚を与えてくる。

「ここにはもう戻らない」

声に出すと妙に悲しく、足は地に貼り付く。
幼い頃から何度通ったのだろうか。
あの頃の風景は今もちゃんと、匂いまで思い出せる。
楽しいことも、悔しいことも、絶望も、分かち合うことも、全てここで知った。

「おい。忘れもんだぞ」

見慣れた銀色の髪が揺れる。
その手から放られた、色褪せて端がボロボロの本。
両の手でしっかりと受け取った。

先生の本を、夢中になって写したあの日が思い出される。
性格の出ている、丁寧で「誰かに見せることを意識した」文字。
とても綺麗!という訳ではないが、優しく、温かみのある丸みがあった。

寒い風を無視して、温かいものが頬を滑り落ちる。
それは「止まれ」と願うほどに後から後から溢れてくる。

「馬鹿。泣くなよ」
「だって……」
「最期じゃねーんだから、笑って見送ってくれ」
「私もみんなと一緒に……」
「それだけはダメだって何度言わせんだ。ヅラだって、絶対許さないって言ってただろ」

肩を支える腕は温かく優しい。
いつもおどけた彼のそれとは違った。

そっと頭を撫でる手は大きく、私より小さかった身長は、もうとっくに私を追い抜いていた。
あの頃の面影を残しながらも、彼は強く、優しく、だからこそ厳しく私を突き放す。

「ここでなくて良いからさ、どっかで、見ててくれよ。俺らを」

ぽんぽんと、幼い子どもをあやす様に、背中を擦られる。
彼の胸に納まりながら、その低い声にあやされて、涙が更に熱を増した。

「出来ないって言ったら?」
「……その方が良い」
「え?」
「俺らなんかに関わらねーで、どっかの、優しい金持ちと結婚して、ガキしこたま作って、肥って、しわくちゃのババァんなって、腰が曲がって、大勢に増えた家族に囲まれて……あー、平凡で楽しかったなーって眠るように死んでくれれば。それで俺は満足だよ」

抱きしめる腕に力がこもる。
小さく、泣くような声で、「忘れてくれ」と聞こえた。
そっと、盗み見る様に彼を見上げる。
泣きそうな声とは裏腹に、苦しいくらいに彼は真剣な顔で私を見ていた。
その、射抜くような瞳と、視線がぶつかる。

「全部俺の我儘だ。たぶん、奴らは心ん中でオメーを地獄まで連れて行きてーって思ってるよ」
「うん。私も、みんなとなら、地獄でも良いよ」
「馬鹿なこと言うなよ」
「だけど、私のせいでみんなを地獄に落とすことだけはできない」
「お前……」
「大好きだから、地獄まではお供できない。だから……ちゃんと、別々でも良いから、私のところまで帰ってきてよ?」



そして、みんなは行ってしまった。
風の噂で、彼らの活躍を聞いたり、嫌な噂は信じないようにして、時間はただただ過ぎていった。

あの時、私はついて行くべきだったんだろうか。
無理を言ってでも。
勉強くらいしかみんなに勝てる部分がなかった私が、戦場で、みんなに何をもたらすことができただろう?
たぶん、きっとみんなを悩ませて苦しませるだけだったと思う。

「でも、大丈夫」

また逢える。
幾つ季節が巡っても。

「あの場所じゃないどこかで、ちゃんと待っているから」

その時が永遠に来ないとしても、私だけは想い続けているから。
だから、みんなはみんなの道を貫いて。
たまに、ちょっとだけ思い出してね。



*****
2013/12/31

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小谷 法子



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