書庫1

□accident LOVE
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「きゃっ!」

「あぶねえ…っ」

目の前で女性が躓き体勢を崩し、俺は咄嗟に彼女の身体を支えた。

彼女の身体は柔らかく黒く靡いた髪からは初めて感じた香りがした。

「大丈夫…ですか?」

声に反応する様にお互いは見つめ合う……

「………っ」

彼女は何も喋らず、ただ俺を真っ直ぐ見ている。
曇りの無いこの黒い瞳を見ていると思わず虜になってしまう程深い色をしていた。

次第に彼女の頬が紅潮するのが分かった。

「あ、あの……」

「え…あっ、その…ありがとうございます。」

我に帰った様に彼女は喋り始めた。

「いえ、怪我が無くて良かったです。それじゃ俺はこれで…」

「あ、あの!」

立ち去ろうとしていた俺を引き止め、振り向くと…
胸に手を当て下を向きながら…

「あの…この辺の人ですか?」

「ま、まぁ…」

彼女は一枚の紙を俺に差し出す。

「この場所わかりますか?」

紙を受け取り見てみると…簡略な地図と少しだけ文章が書かれていた。

「えっと…」

現在位置とこの周辺を頭に浮かべ、地図と当てはめる。
その場所が頭に浮かんだ…。

「そこの角を曲がって少し行ったビルですね。
一緒に行きますよ。俺もその道行きますから。」

「ありがとう、ございます…!」

来た道を少し戻り最初の曲がり角を曲がる。
すぐに目的地は見えた。

「あの…ホントにありがとうございました。」

「いえいえ…」

無言で彼女は一枚の紙を差し出した。

「名刺…?」

「絶対、連絡下さい!お礼したいですから。」

それだけを告げて彼女はビルの中へ入ってしまった。
俺は手元の名刺に目を落とした…

「…川添、綾子……。」

その名刺にはそう書かれ、メールアドレスと電話番号が書いてあった。

「…なんだろう…このドキドキ…」

もう一度上に聳えるビルを見上げ、俺はその場を後にした。



カタカタカタカタ……

キーボードを叩く音とお気に入りの音楽が響いてる自室。

俺は仕事である執筆作業に勤しんでいた。

「っ…はぁ。」

軽く伸びをすると背もたれが小さく軋んだ。
携帯を開き時間を見てみると10時過ぎ、一休みついでにコーヒーを煎れようと立ち上がるとポケットから一枚の紙が舞い落ちた。

「あ、すっかり忘れてた…今からでも大丈夫かな?」
名刺に書かれていたアドレスを打ち込み簡単な自己紹介をして送信した。

ウ゛ゥーウ゛ゥーウ゛ゥー。

返信は直ぐに来た。

『詠司さん…ホントにメールくれたんですね…ありがとうございます!』

それから少しだけ他愛も無いメールのやり取りと自分の番号を教えた。

でも……何故か明日会う事になってしまった。
場所は今日のビル。時間は一時。

約束してしまった以上行かない訳にもいかない。
今夜は早めに仕事を切り上げ風呂に入って布団に潜り眠りに落ちた……



「ん……ぁ?」

携帯から流れるアラーム音で目が覚めた。
カーテンを開き外を見る…
「うん…いい天気だ。」

耳障りなアラーム音を止め、ベッドから降りる。
軽く伸びをして洗面所へ。
「あー…朝飯はいっか…」
空腹感はあるものの朝飯には遅い昼飯には早い時間帯、後でコンビニでも寄ろうと思いながら服を着替え、仕事机に向かう。

書き始めてしまうと止まらなくなるので、今はアイデアを纏めるだけにしておく。

「…………」

部屋は静かで……鉛筆がノート越しに机を叩く音だけが響いている。

「…………ん?」

時計に目をやると針は12時過ぎを指していた。

「……ヤバイかなぁ?」

携帯と財布だけ持ち、家を出た……


昨日と同じ道…
この場所で昨日出会った女性…

その時の事を思い出すと胸の辺りがチクチクする…。
これが…恋?
でも会って1日だぞ…?

自分に問い掛けてみる…

「…わかるわけないよな…」

そんな事を考え歩いていくと目的地のビルの目の前に居た。

「あ、あれ……」

ビルの周りを見渡すと不思議な事に気付く…

「このビル…テナントが入っていない…それどころか…空きビルだ…」

でも、入り口が開いている。中に誰か居るのは確かだ。

意を決して中に入る。
ビルの中はひんやり静寂に包まれ、歩く度に足音が綺麗に響く。

階段を上へ…
また上へ…

「……今…」

微かに音が聞こえた…気がする。
声じゃない…何かのメロディが…

さらに上へ進む毎に、その音は大きくハッキリと聞こえる…

わかった、ピアノだ…
誰かがピアノを弾いてるんだ。

完全に分かったのはそのピアノがあると思われる部屋の前だった……

ガチャ…

静かにドアノブを回し扉を開くと…
爽やかなメロディに乗って清々しい風が吹き抜けた…。

「あ…!詠司さん!来て、くれたんですね!」

俺が居ることに気付いた彼女は跳ねる様に俺の前に来た。

「ピアノ…上手いんだな…川添さん。」

胸の前で手を合わせ頬を赤く染めながら彼女は…

「えぇ、子供の頃からしてますから…それより…綾子って呼んで下さい。」

「あ、綾子さん…」

何でだろう…ただ見ているだけなのに…ドキドキして息苦しくなる…

「あ、あの…それで何か用でもあるの?」

少し微笑んだ後、綾子は窓の方へ歩いて行く…

「あなたの事、もっと知りたいんです。」

その言葉は俺の胸を締め付け…息をも止める程…。

「…俺の事…を?」

綾子は頷いた、優しい笑顔で…。

「昨日、初めて会ったのに…変ですよね?」

「そんな事…無いよ。俺も知りたい…綾子さんの事…」

今、心からそう思った。
知りたい…
もっと彼女の事を…知りたい。

「詠司さん……」

「何から…話そうか?」

二人は悩んだ…
唸ったりお互いを見たり…
「あ、そうだ。綾子さんは何でこんな空きビルに?」
「それは…この子がいるからです。」

そう言って綺麗な指先で黒光るピアノをなぞる…

「一曲聞かせてくれないかな?」

少し憂いを帯びていた表情がパァッと華やぎ、綾子はピアノの前に座り弾き始めた…

透き通る様な音色…
心に響くメロディ…

知ってるような懐かしいような……そんな気持ちにさせてくれる…

弾き終えた綾子は俺を見つめる。

「まるで魔法の指だね…」
俺は綾子の手を取った。
白くて細くて曇りの無い…綺麗な手。

「この指が魔法のメロディを生み出している…さしずめ、綾子さんは魔法使いだね。」

綾子の顔は紅潮し俯いてしまった。

「恥ずかしいです…」

「あ、はは…職業病って言うのかな?すぐにクサイ台詞言っちゃう…」

「職業病…?」

首をかしげ俺を見つめる綾子。

「俺、小説家なんだ。
言っても名も売れてないんだけどね…」

握っていた手を離し俺は窓の外を見つめる。

「数年前に書いた作品が認められて連載が始まって一年も経たない内に完結…それから単行本も出させてもらった。それの売り上げも多くは無かった……」

今までの楽しかった事、辛かった事…全部を話した。いや…言いたかった、誰かに聞いて欲しかったんだ。
そんなかっこ悪い愚痴を綾子は真剣に聞いてくれた。何も口にせず、ただ頷いてくれただけだが…嬉しかった。

「私は…早くに両親を無くし、ずっと祖父母に育てられました…祖父母の家は会社を経営しており、俗に言う、お金持ちです。」

綾子は立ち上がり俺の横まで来る。
その顔は憂いを帯びて…どこか寂しそうだった…。

「祖父母は多忙な方で、ほとんど家に居ませんでした。
だから私は…ピアノを引き続けました。死んだ母が好きだった曲を…ずっと。
だから友達も居ません、学校にも行かせてくれませんでした。
いつしかピアノだけが私の理解者であり一番の友達になりました……」

この子は…綾子は…俺より辛く険しい道を歩んできたんだ……

「俺が…理解者に、なるよ。」

「え……?」

考える頭より…
想う心が先に出た…

「まだお互いを知らないけれど……俺は綾子さんの一番の理解者になりたい。
そう思ったんだ。
君の事が好きになったから。」

「…詠司、さん……」

「ゴメン、突然だったよな。でも伝えたかったんだ。俺の気持ち…」



「……哀れみなら…いらないです。」

思いがけない言葉が彼女の口から飛び出た。

「私の事を哀れんで、そんな事を言ってくれているのでしょう……?同情なんて…いりません」

そう言って彼女は走りだした…
去りぎわに見えた綺麗な瞳から流れる雫は…俺の胸を締め付けた…

俺は追い掛けた。
もう姿も見えない彼女の背中を…

どこへ行ったのか…
どこを曲がったのか…

ただ闇雲に…
がむしゃらに探した…

「はぁ…はぁ…」

肩で息をする…
結局、綾子は見つからず…気が付いた時には夜も更けて…俺は空きビルの前に立っていた。

階段を上り…
飛び出したピアノがある部屋に入る…

もちろん…綾子は居なかった……。

「……ピアノ、か…」

鍵盤の蓋を開け、一つ鳴らしてみる…
静かな部屋に単音が響いた…

「……っ」

椅子に座り…

昔、好きだった曲を弾く…ピアノで唯一弾ける曲である……

ピアノを弾きながら考えるのは綾子の事ばかり…
会って間もないのに…

こんなに…
こんなに…

彼女の事を考えるだけで胸が苦しくなる。

「………。」

最後の音が消えゆく時……
「ピアノ…弾けるんですね…」

後ろを振り向かなくても分かる…

「この曲…だけな…。」

俺が捜し求めてた声…
それが今、後ろにある。

「詠司さん!」

後ろから柔らかく強く包まれた…

「ごめんなさい…私…私…」

「俺は…本気で綾子さんの事が好きだよ…」

「私も…貴方の事が好きです!」

その気持ちが嬉しかった…純粋に嬉しかった…

「綾子さん…」

彼女の瞳は涙で溢れ…
グシャグシャになっていた…

俺は抱き締めた…
彼女の全てを包む様に…


月明かりに照らされたこの部屋で…
二人は抱き合った。

過去も未来も二人の運命を……包む様に……。



END

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