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□憧れより、憧れ以上
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春、4月…街も人も環境も全部が変わり色めく。
桜の樹が花を咲かせ、可愛い薄桃色に染まる坂を息を切らしながら一気に自転車でかけあがる。
坂を登って一息付いて…
視線を真っ直ぐに戻す。
「あっ……」
ほら、今日も居た。
坂の上のバス停に毎朝いる彼女。
近くの有名進学校の制服を身に纏い、いつも違う本を片手に長い黒髪を桜の花弁と一緒に流す、そう…それはまるで一枚の絵の様に美しかった。
でも…所詮、他人は他人。声を掛ける事も出来ず、いつも彼女の後ろを逃げる様に過ぎ去るだけ。
気になる事は山ほどある。名前は?
年齢は?
趣味は?
好きなタイプは?
そんなくだらない質問ばかりを頭の中で温めるだけの俺に、彼女は振り向いてもくれない。
「……はぁ…」
深く重いため息は俺の心情そっくりだった。
漕いでたペダルを止め、徐々に減速していく自転車。
「サボろうかな…」
踵を返す様に来た道を逆走する。
「あれ……?」
さっき通ったバス停に彼女はまだ居た。
時計に目をやると、彼女の学校行きのバスは今しがた出たハズなのに…
不思議に思いながら自転車を降り、ゆっくり彼女の後ろを通過しようとした時だった…
「やっぱり、引き返してきたね?」
誰かの声が聞こえ、周りを見渡しても彼女以外には誰も居ない。
「え……?」
パタンと本を閉じて俺を向いたのは紛れもなく…
憧れの彼女だった…
憧れの彼女との初コンタクトは予想も出来ない程突拍子で、思わず絶句してしまった。
「私ね、予想してたんだ。君がこの道を引き返すって…」
「………え?」
ニッコリ微笑んだ彼女はガシャンと俺の自転車の後ろに跨った。
「何してるの?さ、走って!」
訳も分からず言われるがままに自転車に乗り、初めての二人乗りのペダルの重さを味わった。
坂道を軽くブレーキを当てながら下る。
「んー!気持ち良い!」
風に乱れた髪を押さえながらハシャぐ彼女はまるで子供。
それからもアッチやコッチ、彼女の指差す方向にハンドルを傾け走り続けた。
肩で息をして、ようやく一息付けたのは数時間後、もう時間は昼になっていた。
「…何で…海…?」
目の前に広がる大海原。
春とは言え、まだ肌寒い季節に何で海に…
そんな事を防波堤の上で考えていると、突然首筋に感じた冷たい感触に思わず声を上げてしまった。
「あ、ごめん…驚かせちゃった?はい、水。飲んでいーよ」
恐らく近くにあったであろう自販機で買ったペットボトルの水を有り難く受け取る。
「あ、ありがとう…」
その冷たさが今は心地よくて額をずーっと冷やしていた。
「ごめんね…こんな所まで付き合わせて…しかも、初対面の女に…」
「…大丈夫。俺は学校サボりたかったから丁度よかったし…それに、初対面って訳じゃないよ…毎朝、バス停ですれ違ってたから…」
「そっ…か…私の事、見てたんだ?」
「あ、いや!変な意味じゃなくて!」
慌てて否定する俺に彼女は笑いながら身体を預けた。
初めて感じた彼女の体温…彼女の髪の匂い…まるで二人が合体したんじゃないかと思うくらい分かる。
そのせいか心臓があり得ない早さで鼓動し、もう止められなかった。
「あ、あのさ…聞いてもいいかな?バス停で俺が引き返すの、何で分かったの?」
彼女はんー、と空を見ながら考えている様だ。
「何となく…かな?私も君みたいに前から君を見てたから…」
「え?見て…たの?」
信じられなくて驚いた。
俺が彼女を見ていた時、
彼女は俺を見ていた…
その事が恥ずかしくて嬉しかった…
彼女も顔を赤くして俯いてしまっていた。
沈黙が流れ、波の音と風の音がやけに煩く聞こえた…
「帰ろっか…!」
彼女のその言葉を皮切りに、俺達はまた来た道を戻っていた。
その道中でも静寂は守られ何とも重苦しい雰囲気だった。
出発地点の坂を上った先にあるバス停に着いたとき、
それでも、まだ一緒に居たいと願ってしまう俺は極力ペダルを踏まず余力で自転車を進ませていた。
「着いたぞ。ココでい…」
そう言い掛けた時、彼女が俺の制服をキュッと掴んでるのが分かった。
「…うん」
名残惜しそうに自転車から飛び降りた彼女は踵を返し俺に微笑みかけた。
「ごめんね!今日は無理に付きあわせちゃって!ありがと…ね…」
それじゃ、無理にそう言って無理に笑っている事ぐらい顔と声ですぐにわかった。
でも、さっさとその場から離れていった彼女を止める言葉が思いつかず、彼女の後姿が見えなくなるまで俺はココで立ち尽くしてしまった。
それから何時間経っただろう。
既に陽は暮れて辺りは真っ暗、街頭もチラホラ灯り始めていたにも関わらず、俺はまだフラフラと自転車を漕いでいた。
なかなか家に帰る気にもなれず、かと言って行く場所等見当たらない。
少し肌寒く夜風が顔に凍みる。
「大丈夫かな…」
彼女はあのまま家に帰ったんだろうか?
あれからずっと頭の中は彼女の事で一杯。
居るわけも無いのに、また俺はこの坂を登っている。
桜並木の入り口が見え始めた。
「今日でこの坂登るの何回目だよ…っ!」
独り言の様に愚痴りながら重いペダルを漕ぎ終え、バス停を見つめた
「…っ!」
目を疑った。
いつもの場所にいつもの様に彼女がそこには居た。
俺は自転車を降りてゆっくりと彼女に近づいた。
けれど彼女は一切俺には気づかず、手の中の本や月を見ながらため息を付いたりと、あきらかに様子がおかしかった。
近くに自販機を見つけた俺は暖かい飲み物を買って、彼女の背後に回った。
そしてソレを彼女の首筋にペタリと押し当てた…
「ひぁぁぁ!」
可愛らしい悲鳴を上げながら俺の方を見る
「コーヒーで良かったか?」
「な、なんで…ここに…?」
缶コーヒーを受け取った彼女はボソリとありがとうと呟き、冷えた手を温め始めた。
「んー…なんか家に帰る気になれなくて、ココまで戻ってきたら君がいたから…」
「そっか…」
少し残念そうに俯いた彼女、小さな音を立ててプルタブを開け、少しづつコーヒーを口に運ぶ。
「…ゴメン。嘘ついた!ホントは君の事が気になったんだ。寂しそうに帰っていったからさ…」
「だからさ、時間があるならちょっと付き合って欲しい場所があるんだ」
「ドコ行くの?」
秘密。そう告げて自転車に跨った。
少し彼女は戸惑っていたけれど何かを決意したのか、さっきと同じ様に後ろに座る。
夜の街を自転車で通り抜ける。
華やかな灯りがイルミネーションの様に綺麗で彼女は見とれていた
「そろそろドコに行くか教えてくれてもいいんじゃない?」
後ろで彼女がそう言った時には待ちの灯りも遠くに離れて、町外れの森に入っていた。
「もう少しで着くから!」
道無き道を走りぬけ、草木をかきわけやってきたその場所を見たときの彼女の表情は俺の期待した物より遙かに良かった。
「どう?俺の秘密の場所」
「綺麗…」
その場所は森の中にある湖。
月の綺麗な夜には水面に綺麗な月が浮かぶ程透き通っている湖で俺のお気に入りの場所。
「俺、何か嫌なこととかあったらココに来るんだ。悩みとか心配とかさ湖が吸い取ってくれるみたいで…」
「すごい…こんなの初めて見た!」
嬉しそうに湖に駆けていった彼女を後からゆっくり追う。
「良かった、喜んでくれて…」
ほとりにある小さな樹の下で二人は寄り添って座った。
「こんな事聞いていいのか分からないけど…何か悩みとかあるの?」
「ん…ちょっとね…」
「役に立てるかわからないけどさ、言える事なら聞くから何でも言ってね?」
少し黙った彼女は膝の上でこぶしを強く握った。
「優しいんだね…」
「そ、そうかな…?普通だと思うよ?」
「もしかして…他の女の子にも優しかったりして!」
「無い無い、俺、彼女とか居ないし…」
「居ないの?へぇ〜…意外。モテそうなのになぁ…」
そう言いながら月を見上げる彼女にほんのりと何かを期待してしまう。
「モテないよ、だって女の子と喋らないから…」
「そうなの?でも男の子って好きじゃない?女の子と話すの」
「まぁ、別に嫌いな訳じゃないんだけどさ、なんていうか…一人の方が気楽っていうか…」
彼女はスクッと立ち上がり、湖の方へ歩いていく。
「それ、分かるなぁ…!
私も賑やかな雰囲気が苦手でいつも本読んで自分の世界に入っちゃうの…だからみんなからは暗い子なんてイメージが付いちゃった」
水面を撫でながら悲しい事を無理に笑い飛ばしている彼女。
それは気にしてないのか、無理してるのか…わからないけど…
「俺はそう思わなかったな…、初めて君をあのバス停で見かけた時も今みたいな桜が咲いてた。その桜吹雪の中で本を読んでる君はとても綺麗だったから」
水際の彼女の所まで近づき俯く彼女の頭を撫でる。
「よく、そんな恥ずかしいセリフ真顔で言えるね…。そんな事言われたら…私、どんな顔すれば、いいか…わからない…」
必死に涙を我慢する声。
「昼みたいに、笑顔で居てよ…?」
「っ……!」
無理して涙目を隠して必死に笑顔にしようとしても、すぐに崩れてしまう。
「ごめっ…ちょっと胸貸して…」
彼女は俺の胸にしがみついて小さく泣いた…