short 5

□名前
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「ツッキー」

「月島蛍ー」

「蛍ちゃーん」


風呂上がりの濡れた髪を乾かしながらスマートフォンを弄っていたら、後ろから自分の名前が聞こえてきた。機嫌のよさそうな鼻歌まじりの声に振り向くと、寝癖のとれた黒髪。
僕への呼び名を変えて呼びかけていたのは、黒尾さん。


「なんですか」

「え、なにその嫌そうな顔」

「ツッキーはやめてくださいって言ってますよね」

「んー。じゃあ、なんて呼んでほしい?」

「それ以外で」


つれないなあ。と呟きながら、黒尾さんは僕の肩にかけてたタオルを取って、後ろからまだ濡れている髪を拭いていく。
乾いていく短い癖っ毛がふわふわと感じて、なんだか眠くなってきた。僕がこうして黒尾さんの家に泊まるのは、何回目だろう。


夏の合宿後から彼のアプローチを受け続けて、面倒になった僕は流れで付き合うことを了承した。けれど僕の気持ちに納得いかない黒尾さんと、紆余曲折あって正式に恋人同士になったのは最近のことだったりする。
その間にもお泊まりは何度かさせてもらっていた。それは彼の家族が暮らす一戸建てだったけれど、今回は違う。
黒尾さんは音駒を卒業してからすぐに就職し、一人暮らしを始めた。彼だけしかいないアパートのワンルームは新鮮で、なんだか変な感じだ。


「蛍ちゃん、髪終わった」

「…ありがとうございます、くろおさん」

「ん、もう眠い?」


ぼんやりとしていた意識をたぐり寄せて、黒尾さんの身体にもたれ掛かる。それを気にするでもなく、肩口から僕の顔を覗き込んできた。お互いの顔がすぐ近くにあって、眠いどころじゃない。
顔を合わせないように伏せて、眼鏡を掛け直した。


「…いえ、黒尾さんこそ、明日も仕事じゃ」

「蛍ちゃんいると眠気なんてねーよ」

「そうですか、て言うかちゃん付け…」

「えー、これもだめ?」

「男にちゃん付けはないデショ」


黒尾さんは、うーんと首を捻って他の呼び名を考える。
それを横目に見ながら、僕は身体を起こすと立ち上がろうとした。


「じゃーやっぱ、蛍…か」


呼ばれた瞬間、ドクンと、心臓が掴まれたような、そんな感覚が走った。

不意に後ろから手が伸びてきて、鍛えられた腕に身体を抱きしめられる。低い声色で、何かを企んでいるような、含みのある笑みにぞわりと粟立つ。


「…な、俺が呼び名にこだわる理由、わかる?」

「くろお、さ」

「お前にも、呼んでほしいから」

「え」

「俺の名前、呼んで」


低くて、けれどどこか優しい声に、嫌味を言うほど余裕ではいられなくて、僕の口からこぼれたのは与えられた一つの選択肢だけ。



「てつ、ろう」



その一言に、今日一番のいい笑顔が僕の唇を奪った。



141007

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